夢だと思っていた。
それほどまでにおぼろげな記憶で、また数分の出来事であったから。
だからホープはそれを未だに覚えている自分を不思議に思っていたし、逆に実際に存在する人物なら会ってみたいと興味本位に思っていたくらいだ。

そう、自分のことであるのに他人事のように興味があっただけで、いつか忘れるものとも思っていたし、執着もなかった。
だからあの日あのとき、実際に目の前に彼女が現れたときは、目玉が飛び出るかと思ったほど驚嘆したのだった。









めぐりあって、もう一度









「ほら、また一緒にいるよ!」
「やっぱそーなんだぁ、ショックぅ」

大学のキャンパスを歩いていたら、またそんな声が聞こえてきた。
別に声の主と目があったわけでも、名指しをされたわけでもないのに、それが自分のことを言っているのだとはっきりわかってしまったホープはこっそりと溜息を吐いた。

「どうしたんですか先輩!溜息なんて吐いちゃって」
「いや・・・別に」

こっそり・のつもりだったのだけれど。
どうやら左腕にぴったりとくっつくように歩いていたアリサには、聞こえてしまったようだった。
彼女がこちらを向いた拍子に肩が触れ合ったので、さりげなく距離を置いたのだけれど、知ってか知らずかにっこりと笑ったアリサは大きく一歩こちらに近づき、あろうことか腕を組んできた。
振り払うのも何だか悪いきがして、されるがままになってしまったけれど、今度は無意識に溜息が出てしまった。

ここのところ、この後輩との関係を疑われることが多い。
原因は今の状態を鑑みても一目瞭然で、自分でもよくわかっているのだけれど、はっきり言って迷惑この上なかった。

彼女は一般的にも綺麗な女性だと思うし、賢いし、申し分ない女性ではあると思う。
しかしだからといって、恋愛対象になるかと言われるとそうではなかった。

もてるから選好みをしているんだろうとは、近所の幼馴染のスノウの言葉だ。
確かに子どもの頃から容姿にも頭脳にも恵まれたホープは女性にもてる方であったし、引く手数多の中特に評判のよい女性との交際も幾度かあった。
しかしホープ自身には恵まれているのだという自覚が全くと言っていいほどなかったし、また驕ることもなかった。

女性に興味がないわけではなかったのだけれど、心を奪われるほどの恋には落ちたことがなかった・というのかもしれない。

(・・・いや、心を奪われたことはあったかもしれない)

ホープはふと、昔偶然出会った女性の存在を思い出す。
その女性の、きらきらとした笑顔を心の中で鮮明に。

つくづく不思議に思うのは、その出会いがもうかれこれ五年前のことであるというのにも関わらず、今も目蓋に鮮やかに浮かぶということだ。

(本当に不思議な女性だった。中学生のとき・・・そうだ、父親に反発していた頃だったかな)

ホープはその頃最愛の母親を亡くし、以前から折り合いの悪かった父親とも上手くいかず、心が荒んでいたのだった。
故に暴力行為や反社会的行為等はしないにせよ、無断で学校を休むことも多かったし、交友関係も段々と消極的になり、塞ぎ込んでしまっていた。

そんな自分にも嫌気がさし、中学二年生の春、学校から帰る道すがらにいつもとは違う道を選んでふらふらと歩いていた。
何も考えず、ただただ知らない風景の方へと進んでいた。
俗にいう、家出をしたのだった。

初めは知っていた風景も、曲がり角を三つも曲がってしまえば知らない世界だった。
特に小さい頃から自分の足では自宅と学校・塾の往復くらいしか出かけなかったし、どこかへ行くとしても父親の運転で自家用車に乗って行っていたものだから、尚更地理に詳しくなかったのだ。

そうして繁華街のような場所へ出て、人ごみに紛れて。
それを望んだ筈なのに、不安がどんどん胸の中で拡がっていってしまって。
泣きそうな程に追い詰められ、誰かに助けを求めようかと思ったそのときだった。
彼女が自分の前に現れたのは。

「ちょっとぉ、せーんーぱーいー!?」
「ぅわっ」

今まさに目蓋にまた彼女の笑顔を思い浮かべようと思った矢先、一瞬浮かべた顔は隣を歩いていた(因みに途中からその存在をすっかり忘れていた)後輩のアップで掻き消されてしまった。

「どうしたんですかホントに!今日は心ここにあらずって感じですよ!」
「・・・まぁ、色々とね」

別にアリサは悪くはない、悪くはないのだけれど、今日はちょっと一緒にいたくはなかった。
なのでとても自分勝手ではあったのだけれど、今日は調べ物があると適当な言い訳をして、アリサと別れ図書館へ逃げ込んだ。

この大学の図書館は学生以外でも登録さえすれば利用することができた。
だからホープが図書館に入ってきたときも、老人やら子連れの親子やら、昼間は本当に様々な年齢層の人たちがいるのだ。
しかし学生のために勉強室も確保されていたし、五階建ての上層は専門書やら文献やらばかりだったので、自然学生しか足を運ばない閑静なフロアになっていた。

そんな図書館の五階にホープは迷わず階段を上っていく。
今は勉強をするためというよりは、思い出された彼女のことを考えるだけ考え、すっきりするためだ。
そのためには大抵しんと静まり返っている最上階が一番都合がいいのだった。

(・・・あれ?)

しかし今日に限って、見知らぬ女性がごそごそと何か文献を探しているようだった。
一つ一つのフロアは広いので、自然と自分の用があるコーナーには同じ目的の人間しか近づかないようになる。
故にホープがいつも利用している文献のコーナーも、同じ学科の且つ同じ専攻の人間くらいしか近づかなかったので、その部分を必死に漁っている見知らぬ人は珍しかった。

もしかしたら最近この分野に興味を持ち始めた後輩の誰かだろうか、等と思いながら、ホープはその背中に近づいた。
ついでに言えば、図書館にいるにしては派手な音を立てながら文献を漁っているマナー違反を軽く注意してやろうとも思っていたりした。

その途中、思い立ってから彼女に声をかけるまでのものの数秒間。
ホープは、えも言えぬ感情を味わった。
高揚感だろうか、焦燥感だろうか。
心臓が常にないくらいにどきどきしているし、呼吸が辛い。
何だろうか、得体のしれない感情が全身で畝っているのだ。

「あの、すいません」
「ん?」

そうして振り返った彼女の笑顔は、ホープの全てを奪っていった。
先程まさに、思い出された女性が目の前に立っていたのだ。

『君、迷子?』

あの日、不安と恐怖で押し潰されそうになっていたあの瞬間、その少女は鈴でも転がしているような声でそう声をかけてくれたのだ。

『この辺の子じゃない・・・よね?暗いから迷い込んじゃったのかな』

そんなことを言いながら、彼女はホープの制服を見、その中学校ならこっちだね・なんて言いながら道案内をしてくれた。
というよりも、ホープの手を掴んでずんずんと歩いていき、引きずられるように後をついていったのだ。

意外とさ迷い歩いていた時間は長かったらしく、手を引かれて歩くこと約20分後、ようやく繁華街を抜け、ホープも見覚えのある風景の中に戻ってくることができた。

『この辺、君たちの中学校の通学路だよね。もう道わかる?』
『・・・あ、はい』
『あ、やっと口きいてくれた!喋れないのかと思ったよ』

そうしてころころと笑う彼女の表情は、目を奪われずにはいられない魅力たっぷりの笑顔で。

『ありがとう、ございました』

お礼を言うことはこれほど難しいことだったのかなんてホープが困惑するくらいの動揺を彼に与えた。

『もう迷い込んじゃだめだよ?』
『・・・すいません、でした・・・』

ふわふわとした気持ちの半面、繋がれた手がようやく解放された瞬間、ホープは現実を思い出した。
ここでこの少女と別れ、あの父親がいるあの家に戻らなければならない。
そして明日になれば、あの学校に行かなければならない。
一気に嫌なことが思い出され、いっそ彼女に声をかけられなければ家に帰ることができないくらいに遠くへ行けたんじゃないかだなんて思っていた、矢先。

『がんばれよ、少年』

ふわりと、甘い匂いに包まれた。
柔らかくて温かいものに包まれたと感じ、そのときやっと彼女に抱きしめられているということがわかった。
自覚した途端に身体中が熱くなるのを感じ、どうしていいかわからず、固まってしまった。
そうして数秒間の後彼女は離れ、手を振ってまた繁華街へと戻って行ってしまったのだった。

ホープは暫くそこに突っ立っていた。
彼女の顔を、手の温かさを、匂いを、柔らかさを、そして優しさを、一つ一つゆっくりと思い出していた。
そして漸くそれらの反芻が一段落したところで、それまで不満に思っていた色々なことがどうでもよくなってしまったのだった。

「もしもぉし、どうしたの?」
「夢・・・?」
「えぇ?」

思わず零れてしまった言葉に、彼女は小首を傾げた。
その愛らしい仕草に、また一つ心を奪われた気がした。

彼女はあのとき、別に自分の抱えていた悩みを見抜いたわけではなかったのだろう、とホープは解釈している。
ただ単に、道に迷った落ち込んでいる少年を元気づけようとしてくれたにすぎなかったのだ。
でもあのときの彼女の一挙手一投足が全てホープを元気づけてくれたし、それどころか忘れられない存在になってしまって。

もう一度会えるだなんて、思いもしなかった。
実はあのあとこっそり例の繁華街へ足を運んだのだけれど、会うことはできなかったし。
二度と会うことは叶わないと、諦めていたのに。

どうしてここにいるのかとか、どうしてその文献をそれほど熱心に漁っているのかとか、聞きたいことはそれこそ山のようにあったのだけれど。
とりあえず今は、再び巡り合えることができた運命に、心の底から感謝をしていた。

「いえ、あの、何かお困りですか?」

どうやら、彼女はあのときのことを覚えていないようだけれど。
それはそれで逆に、あのときの頼りない少年のイメージはなかったこととして、今の成長した男としての自分で一から接することができるわけで。

あのときとは切羽詰まった状況は違うけれど、今度は自分が彼女を助けよう。
そんな高揚感を得ながら、顔を綻ばせてくれた彼女の笑顔を見つめるのだった。









おわり









ヴァニラちゃん、名前出てないですが(笑)ホープの忘れられない女性はヴァニラですよ! アリサが出張ると収拾がつかないと思い、話題だけ作ってもらってさっさと退場してもらいました・・・ごめんね。今度活躍させたげるから!笑
補足すると、ヴァニラは家出少年を助けたことを覚えています。まぁ何となくですが。再会して忘れてる感じなのは、見た目が全然違うからです。家出少年のときは13、大学生の今は13−2のホープでお願いします。笑
それにしても再会ネタはおいしい!また似たようなネタで書くと思います・・・すいません^^;;
(20130324)
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