何でもない朝だった。 ピリリ・と目覚まし時計が鳴り、三回目のコールで観念して手を伸ばす。 力一杯叩きすぎて少し掌がジンジンしたけれど、気にしないことにした。 既にカーテンが開け放たれた窓からはサンサンと光が入り込み、更に窓も開け放てば清々しい空気が頬をくすぐった。 それにくすぐったくて目を細めたが、空の青が直ぐ様眼球を染めたので、誘われるようにまた開いた。 「・・・いい天気だなぁ」 ぽつりと溢れたのはしかし、心からの言葉だった。 かろやかに、うららかに 「あれ、今日は弁当じゃないんだ?」 珍しい、といった顔で同僚はギップルの表情を除きこんだ。 ジョゼ寺院は入り口を入ってすぐの大広間、皆で手を休めて昼食を囲んでいたところ、ギップルの隣に座っていた同僚が面白がるようにそう尋ねた。 大方“喧嘩中か?”とでも茶化したいのであろう。 何故なら彼らのリーダーは、誰もがそうであると覚えてしまうくらい、毎日かかさず手作りの弁当を持参していたからだ。 そしてそれを持って来始めた頃のことも、持ってくるきっかけになった事変も、全て周知の事実であったからだ。 だから今日ギップルが弁当ではなく市販のパンをかじっていることは、誰もが不思議に思うことであり、当然作り手と何かあったと面白がる・・・もとい、心配するに足る事態であったのだ。 それに対してギップルは、しかし平然と返す。 「今実家に帰っててさ」 何のことはない・とでも言いたげに。 しかしそれを受けた仲間は、訝しげにまた返した。 「は、跡地?」 「違う違う」 アルベド族の実家はといえばイコールビーカネル島、かつて族長のシドを中心に作り上げたかのアルベドホームだ。 但し3年前にホームは襲われ事実上なくなってしまったので、跡地になってしまったことは誰もが身をもって知っていることである。 「家族のとこさ」 故に今のアルベド族にとってホームまたは実家とは場所ではなく、人だ。 つまりギップルの弁当を作ってくれる人は朝早くから自分の家族に会いに行っているのであり、弁当を作る時間がなかったのだという。 「家族って、お前もだろ」 「・・・まぁ、そうだな」 ピュウ、口笛が部屋に響いた。 日頃金属音が木霊する半円形の構造の天井は、口笛の音色を軽く踊らせギップルの耳に届けた。 日頃暇さえあればそのことで自分を茶化してくる仲間たちから一本取れたと思った今日であったが、またしてもやられてしまった。 いたたまれないような恥ずかしさはもうないけれど、しかし未だに気恥ずかしい。 「今日は迎え行くから、早めに上がるな」 「誰を?」 観念して開き直ってみれば、更に。 茶化すように返された言葉に、わかっているだろうと眉根を寄せてみれば、周囲がニヤニヤと意地の悪い顔をしていることに漸く気がついた。 これは言わなければいつまでも続く悪い空気だと、長年の経験で理解したギップルは、降参の意の溜め息をついた。 「嫁さんだよ」 ピュウ、今度は5人は口笛を吹いた。 * 彼女の家族はやはり、どこかに定住しているわけではない。 むしろ自由奔放に生きるアルベド族の象徴のような人間であるから、最早そのときの商売地が仮住まいであるのだろうと推測される。 だからせっかく約束したルカのカフェで彼女が3時間待ちぼうけしたのも、最早仕方がないことだった。 そしてそんな待ち人の血を、兄共々色濃く受け継いでしまっている彼女にもまた、穏便に待ち続けることも、或いは冷静に携帯スフィアで通信して状況を確認することもできなかった。 「ラミワル!」 「はいはい」 ぶう!とこれ以上なく唇を尖らせた彼女は、しかし律儀に3時間カフェで待った後、怒りに震える指でかけ慣れた電話番号で迎えを呼んだ。 そして現在ホバーにまたがり、迎えに来た運転手の旦那様の胴にしっかりと腕を回し、アルベド語全開で来なかった待ち人の悪口を捲し上げていた。 因みに以下の会話はわかりやすいように訳しているが、アルベド語で展開されている会話である。 断じて面倒くさかったわけではない。 「だいたいさー、今回誘ってきたのオヤジの方だよ!?」 「だよなー」 「時間もこっちが合わせてあげて、だいぶ融通したのに!」 「なー」 「しかも一回延期になって、改めて合わせてあげたのに!」 「うん」 「なんっで忘れるかなー!」 ぎゅう!力任せに旦那様の胴を締め上げ絶叫するも、聞きなれている、否落ち着かせ慣れているので、やはりはいはい・と応えるだけだ。 締め上げも大して堪えていない様子で、むしろあやすように腹に回された手の甲をぽんぽん・と叩いた。 わかりやすい「子ども扱い」であったが、しかし彼女が気を悪くすることはなく、だんだんと落ち着きを取り戻した。 ホバーはゆっくりと進んでいく。 仕事場に向かう際はむしろいかに速く進むかを目指しているというのに、今は穏やかそのものだ。 「ギップルさー」 「ん」 「・・・何でもない」 「何だよ」 何かを口に含んでいるかのように質問をはぐらかした彼女に、ギップルは苦笑を返した。 背中から伝わる感覚は暖かだ。 この存在がこれから死ぬまで共にあるのかと思うと、無性に泣きたくなった。 そういうことは、実はよく考えることであった。 意識するようになったのは、プロポーズをしてから。 あのときも、セルシウスの停まっているところまで送り届けるまで、ずっと背中にこの温度を感じ続けていた。 約30分、二人とも何も話さなかった。 それでもしっかりと胴に回された手は信じるに足り、既に返事を貰ったような気分になっていた。 あのときから、彼女を後ろに乗せて走るホバーの時間は特別だった。 まるで目的地まで走るこの道が、二人で肩を並べて歩く人生のように感じてしまうから。 「ありがとう」 「・・・何で?」 「何となく?」 愛しくて、切なくて、何より嬉しかった。 こんな幸せがあっていいのかと疑うほどに満たされていた。 晴れて結婚することに決まったとき、単身ホーム跡地に赴いて、誓ったことがあった。 天涯孤独になってから初めて家族となる彼女を大切にすると。 これ以上なく愛情を注ぐと、今は眠る家族に誓ったのだ。 その誓いは守ることができているのだろうか・・・ふと思った。 自分は確かにそうであるけれど、果たして彼女には? 確かに届いているのだろうか。 「なぁ」 「んー?」 「・・・うまいもの、食いたくねえ?」 ずれた。 否、意図的にずらした。 異様に気恥ずかしくて、格好悪いことのように感じてしまったからだ。 しかし彼女は知ってか知らずか、否恐らく気がつかずに、にっこりと笑った。 「とーぜん!食べたい!」 「・・・そー来なくちゃ、な!」 つられてにやけた頬をそのままに、笑った。 気持ちがよくて、嬉しくて、幸せで。 軽やかに走っていく。 頬をくすぐる風は温かで、優しかった。 おわり 二人で走っていくホバーって、何だかまさにギプリュ!と思ってしまったので。 どこまでも走っていける、二人なら!キラキラ!みたいのが、似合っちゃうんじゃないかなー。と。 久しぶりにギプリュ書いてみました。正確には書きためていたのをくっつけて構成し直した感じですが。とても、たぎる!好きだー! (120101) |