「何だ、お前、夢じゃ、なかったのか!?」
「ふえ?」

朝起きて目の前にあったのは、知らない女の顔。
否、実は覚えている、覚えているというよりも、衝撃的だったから網膜に焼き付けられていた。

それでもそれも夢だと思っていたのに、現に昨日意識が途切れたときと同じまま、ベッドに背中を預けたまま。
下手な体勢で眠ってしまったから、関節という関節が悲鳴を上げていた。
そして腕の中にはその、女。









Cigarette Kiss
〜Who are you, girl?〜 2










「いでで・・・」
「大丈夫?」
「ああ大丈夫・・・、って!そんな心配どうでもいい!」
「何よー、心配してもらったらお礼くらい言ったらどーなのよ!」
「煩い!」
「ムカツキ!」

寝起きがそれほど悪くはないギップルは、だから低血圧だから云々などと理由を付けてこの状況をなあなあにすることもできず、目が覚めて叫んでそのまま謎の女と怒鳴り合いをしている。
女も女で、やはり寝起きはすっきり派らしく、ギップルに負けず劣らず大きな声をあげて喧嘩に応酬していた。

「とりあえずお前は誰なんだ!?何で俺の部屋に突然現れた!ていうか何でキスした!」
「そんないっぺんに訊かれたって、答えられないっつーの!」
「それはお前がバカだからだ!」
「何をーーー!」

まあそんな調子で怒鳴り合いが続いた訳であるが、そこはやはり朝、なけなしの体力を使っているわけだから、やがてどちらからともなくお腹の虫が抗議の声を鳴らし出した。

「ちっ、とりあえず腹ごしらえだ。お前の分はないからな!」
「いらないっての!」
「ていうかさっさと帰れよ!もういいから!」
「ホントにあんたサイテー!帰れるならとっくに帰ってるっての、こんな最悪なとこいないでさ!」
「・・・ん?」

帰れるならば帰っている。
ということは、帰れない。
ということ、は?

「・・・・・・家出少女?」
「違う」
「・・・指名手配犯?」
「ちーがーう」
「あ、痴漢に追っかけられてて、勢い上がり込んだとか」
「ちっがーーーう!!!」

半ば面白がっていたギップルと、からかわれすぎて遂にキレた女。
まあこの場合悪いのはギップルであることが明白だったので、軽口であるが素直に謝った。

「帰る場所がわかんないの!・・・てゆーか、どこで暮らしてたかとか、・・・」
「・・・・・・え?あれか?・・・記憶喪失」

その言葉に、それまで強気の姿勢を崩さなかった女は漸く崩れ、力なくこくりと頷いた。
弱気とも言える反応は、それまで「可愛くなくて意味がわからない謎の女」というイメージを若干崩した。
それだけで、先ほど怒鳴り合っていた女がどことなく繊細なイメージを感じさせてしまったのだから、詐欺のように思われた。

「何にも覚えてないのか?」
「名前はわかるよ」
「なに」
「・・・リュック」
「そうか、リュック。あとは何か覚えてんのか」
「・・・」

無反応。
ということは、名前以外何も覚えていないのだろう。

厄介なことになった、というのは、素直なギップルの感想だった。
だってそうだろう、自分はただの大学生で、今日まで、否昨日の夜までごく普通の大学生活を送ってきたのに、突然現れた女にキスされて、あまつさえその女が記憶喪失だなんて宣うのだから。

(・・・これは、ああ、警察にでも連れてけばいい話か)

警察、という単語を思い出したら、何故か安心してしまった。
あの組織に頼ってしまえば、人捜しなどお手の物であろうし、何より自分も多少は事情聴取されるであろうがすぐにこの女から解放される。
お互いに有益な話である。

「おい、飯食ったら警察行くぞ」
「けいさつ・・・?」
「お前の記憶戻すにも家族探すにも、とりあえず警察の力借りなきゃなんもできねぇだろう。病院にも連れてってくれるんじゃねぇか」
「・・・」

あれ、と思った。
目覚めてすぐに声を荒げて口喧嘩した相手とは別人のようだった。
先ほど強気を崩した辺りからどうやら様子がおかしいようである。

(もしかして、マジで殺人犯だったりするんじゃねぇだろうな・・・)

たらり、と背中に汗をかいたのは、ナイショ。
とはいえ人を殺せそうな人間には全く見えないし、何となく、警察が怖くて雰囲気が暗くなっているのとは違うようであるとも思える。
まるで、生気がどんどん抜けてしまっていっているような、水を溜めた袋の底に穴が開いてゆるゆると水が抜けていってしまっているような・・・。

「もしかして・・・」
「お腹空いた・・・」
「やっぱりか」

がくり。
思わずギップルが脱力してしまったのも、頷いて頂けるだろう。

「わかったよ!仕方ねぇからお前にも飯出してやる!」
「え、さっきは」
「そんだけ腹空かせた奴を放っておけねーだろ!同情だ同情!」
「ふーん・・・あんがと」
「おう」

話しながらギップルは既に腰を上げ、女・・・リュックの礼に後ろ手で返事をしながらすたすたと台所へ歩いていった。
確か冷蔵庫に卵とハム、レタスがあった筈である。
実はしっかり自炊派であるギップルは冷蔵庫の中は比較的潤っていたが、朝は軽いものを取る派であったので、ハムエッグとサラダで済ますつもりである。

その足並みもまた軽やかである。
とてもではないが、軽食とはいえ、これから知らない女の分まで食事を作らなければならない者の足取りとは思えないほどだ。
昨夜寝る前に襲われた圧倒的な脱力感はどうやら一日の疲れが溜まった結果だったらしく、変な体勢とはいえ約8時間爆睡できたお陰で体力が回復されていた。
それは若いまだ20代そこそこの男の体力故、とも言えた。
だからだろうか、肉体的に疲れが溜まっていなかったため、口では憎まれ口を叩きつつも、そこまで実は苛々していなかった。

(まあ飯一回分くらい何でもねーや。今日は授業3時からのが一個あるだけだし、こいつ警察に送って少し休んで、それから行けばいいか)

5分も待たせずに皿を運んだ。
待たせていたリュックはといえば、先ほどと殆ど変わらぬ体勢でベッドの脇にうずくまっていた。
お腹が減りすぎて気持ち悪いのだろうか、なんて思いながら、テーブルに皿を二つ、箸を二膳、水の入ったコップを二つ置いた。

「まあ食えよ。遠慮しなくていいからさ」

言うなり自分の方こそ空腹だったギップルは、リュックの様子も窺わずにがつがつと食べ始めた。
だから見ていなかった、彼女の様子を。
箸にもハムエッグにもサラダにも目をくれなかったことを。
僅かに動かされた目が、ギップルの口元に釘付けになっていたことを。
ゆっくりと、引きつけられるように上体がギップルに近づいていったことを。

「・・・、はー、ご馳走さん!って、お前まだ食ってねぇの、」

か。
言い終わる前に、ギップルはまた唇を奪われていた。

「・・・っ!」

昨夜とは異なり、体力も考える力も充分にあったギップルは、はっきりと拒絶の意味を込めてリュックの肩を押し返した。
その眉間には深く皺が刻まれており、不愉快を隠していなかった。

「お前さぁ、何のつもりなわけ?」

我ながら少し苛立った声だ、と思った。
でもそれも、この場合当たり前のことではないだろうか。
口をぽかんと開けて自分を見ているリュックの顔が、また彼を苛々させた。

「昨日だって夜中にいきなり人んち入ってきたし、それだけでも十分怪しいっつーのに、隙を見てキスしてこようとすんのはどういうことだよ。幾ら女だからって許してもらえることとそうじゃないことがあんだよ」

まだリュックが、絶世の美女とは言えずとも“可愛い”部類に入るから救われているようなものだ。
また彼女が持っている雰囲気が、何となく何をしても許してもらえるようなものであることも理由に入る。
それでもやっていいこととならないことがあるわけで、このときのギップルは訳もわからずキスされる行為自体の不愉快さと言うよりも、誰彼問わずキスするような嫌な気安さが不愉快で、半ば父親のような気分で叱る、否諭すような気持ちであった。

しかし目の前のリュックはといえば、また顔を青ざめさせた。
ギップルに拒絶されたからとか、怒られているから、とかの理由ではなくて、また何か別の理由から青くなっているように感じられた。

「・・・ぁ?」
「?」
「ご、ごめ・・・あたし、何して・・・」
「??」

それきり、リュックは膝を抱えて俯いてしまった。
よくよく見れば、未だギップルが支える肩を小刻みに振るわせていた。

再度キスを仕掛けてきたとき、彼女の意思がそうさせたのだと感じた。
昨夜の件は百歩譲って部屋に飛び込んで来た際の事故だとして(舌が潜り込んできたのはこの際忘れてやることにした)、二度目は事故に繋げられるものではない。
それなのにこの少女はときたら、自分のした行為の意味がわからない、まるで自分こそ事故に遭ったかのような顔でいる。

ますます意味が分からないリュックの行動に、ギップルもどうしていいのかわからなかった。
ただ一つ、問題がありそうなことが彼の頭に浮上した。

「わかった」
「へ?」
「お前、しばらくここにいろ」
「ええ!?」

例えば彼女がなにがしかの理由でキス魔なのだとして。
そして何かの事情で記憶喪失なのだとして。
警察に突き出したところで、彼女のキス魔現象が収まるとは思えない。

事情聴取の刑事たちにさえ、彼女はキスしようとするかもしれない。
何だか嫌な光景だけれど、これはまあいいとする。
しかし被害にあった人間は真っ先にギップルを疑いそうである。
彼女を警察に差し出した彼こそが、彼女をこんな状態にした犯人であり、自分も被害者であると言ってはいるが、実は彼女を記憶喪失になるくらいに調教した加害者であるのではないか、とか、疑われないだろうか。

仮に疑われずとも、こんなアホみたいな案件に警察は真面目に動いてくれるだろうか。
「ふざけるな」とか一喝されて、リュックは路頭に投げられてしまうのではないか。
そして自分の元に舞い戻ってしまうならまだしも、そのまま道端の怪しげな男たちにまでキスをしかけ、あれよあれよと手篭めにされてしまったりしないだろうか。

(考えすぎな気は、十分してる。でも、万が一ってことも・・・ていうか、考え出すと心配・・・こいつのこともだけど、俺の沽券とか・・・)

ひょんなことから大学の友人たちにばれたとしたら、それはそれは盛大な誤解をされそうな気がする。
彼女を軟禁同様部屋に閉じこめておくわけにもいかないから、いずれは誰かにばれてしまうだろう。
そのときの知り合いらの反応が、怖い。
それらもまあ最早考えすぎなのだけれど、坩堝と化したギップルの脳味噌の心配をする部分はもうヒート寸前で、だからもういいのだとたかをくくったのだ。

「いいよ、思い出すまでいて。その代わり、何でここに飛び込んできたのかとか、何でキスしたがるのかとか、そういう俺的に大事なとこから思い出してくれよ。あと」
「あの、」
「ん?」
「ありがとう」
「・・・おう」

ここにいていい、の理由を聞く前から、ギップルに下心があるかもしれないとか疑う前から、リュックは礼を言ってしまっていた。
だからギップルも別に下心があったわけではなかったけれど、より精力的に協力してやろう、という気になったのだった。
礼を言う際にリュックが初めて見せた、可愛らしい笑顔も決め手になったりもしたのだけれど、それはとりあえず内緒の話である。

(まあ、キスに応じるかどうかはまた別の話だけどな)

かくして二人の同居生活はここに幕を開けたのだった。









continue.









同居生活スタートです^^結局リュックちゃんのこと、殆ど何も明かせませんでした・・・キス魔ってことしか。笑
何でキス魔?ってとこは3で明かす予定です。「え、そっち?」って思われる方もいそうな理由になるかもですが;;気楽にお付き合いしていただければ幸いです!
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