家に置いてやる。

そのようなことを半ば勢いで言ってしまったことは、一応一瞬の間に色々考慮した結果であり、多分今から丸一日じっくり考えてみたところで結局同じ答えが出るだろうとも思ったので、それはまあよい。
ただ問題は、記憶喪失にも関わらず今またこうしてあっけらかんとしている女を、どのように回復させればいいかということだった。









Cigarette Kiss
〜Who are you, girl?〜 3










ギップルは優秀な理系の大学生であると言ったところで、専門分野は機工学、いわゆる機械いじりである。
医者に必要な知識など小指ほどもかじったことがないと言って過言ではないので、つまり手探りにも程があるくらいだ。
敢えて言えば昔テレビドラマか小説でかじった知識があるとも言えたが、そんなものが役に立つとは到底思えなかった。

当の記憶喪失らしき女が、先ほどのしおらしさはどこへやら、何が物珍しいのか部屋中の物を無遠慮に手当たり次第物色しているところを見ると、この女は本当に困っているのかと疑いたくなってしまう。

「こら!そこら辺触んじゃねえ!あっ、その山崩すな!」

だからもう、気分は保育士か幼稚園の先生か。
気のままに行動する女の後ろから、大学の教科書やら後で読もうと思って重ねておいた文献やら友人から借りたCDやら、触られたくないものを手を伸ばして奪うことで守っていた。

一応まだ出会って(という言い方は大分柔らかいが。風のように現れて、とか、突然出現した、とか言った方がまさしく正しいのだから。)一日も経っていないわけである。
半分同情半分仕方なしに置いてやったとはいえ、それほど長く一緒に生活するつもりはない。
帰る場所のヒントなりなんなり見つかれば、もういいから出て行ってほしい。
つい今しがた弱々しかった彼女に同情してしまったことを後悔するくらいに、リュックは好き勝手だったのだ。

しかしそんな彼女もいちいち邪魔してくるギップルが勘に障ったのか、くるりと頭を反転させて抗議してきた。

「ちょおっと物色してるだけじゃん!減るもんじゃないし、見せてくれてもいいでしょ!」
「気分がいいもんじゃねぇって言ってんだ!」
「ははーん・・・エロ本でも隠してるわけ?」
「なっ、アホ!プライバシーの問題だってんだ!」

リュックの指摘はあながち間違いではなかった。
あと三冊・・・否、五冊隣の本を崩されると、恐らくそういう類の本が顔を出す筈だ。
しかしそれよりも、まだ信頼関係も作っていない人間に部屋を漁られるのは普通に考えて嫌なわけである。
そこで使い勝手のよい“プライバシー”という言葉を使ってみたわけであるが、これがどうしたことかまた彼女の弱い部分を突いてしまったらしく、どことなくシュンとした雰囲気になってしまった。

(またか・・・)

恐らく自分のことを殆ど覚えていない彼女が、自分にはプライバシーがないんだなあ、とか、そんなことを思って寂しくなったのだろう。
そのまま文句を叩きつけようとしたギップルであったが、その様子を見てぐっと言葉が詰まってしまった。
ずるい、と思った。
彼が特別女性のそうした弱い部分に弱いとか、そそられるとか、そういう訳ではないのだけれど、何故かリュックが見せた数度の場面には食い下がらざるを得なくなってしまう。
一見強そうな女だからギャップのせいだろうか、ということにした。

「あー、悪かったよ、無神経で!・・・あ、そうだ」

そこで彼は妙案を思いついたらしかった。
古典的にポン、と手を打つと、なるべく安心させるように顔を覗き込んで言ってやった。

「お前記憶喪失っつっても、多分この辺りの人間だろ。範囲はわかんねえけど・・・その辺散歩でもしてりゃあ何か思い出すんじゃねえか?」
「思い出す・・・?」
「そうそう!よく言うじゃねえか、思い出のものとか場所とか見ると、脳が反応して刺激されて、思い出すもんさ」

我ながらいいことを思いついたものだ、なんて感心しながら、上機嫌に彼女の手を引いた。
しかしそこで、情けないことに初めて、彼女の服装をしっかりと見たのである。

「・・・お前、随分奇抜な格好だな?」
「そう?」

言い訳をすれば、昨夜は当然彼女を女だと認識することしかできなかった。
今朝に至っては、情けない話ではあるが気が動転していてそれどころではなかった。
そして今、気持ちも落ち着いてさて改めて、気がついたのである。

端的に言ってしまえば、黄色を基調としたビキニの水着である。
その上からパレオのように丈が短めのスカートをはき、首元には長すぎるマフラーともショールとも取れる布を巻いている。

はっきり言って、露出がとてもとても、思い切っているわけだ。
この部屋に飛び込んで来る前はこの格好で街中をうろうろしていたのかと思うと、よく変態に捕まらなかったものだと逆に感心してしまう。

「服、貸すから」
「えーいいよーこれで」
「よかねえ!つーか、隣を歩く俺の身になれ!」
「・・・何で?」

本当にわからないらしい。
無自覚というものはオソロシイものだ。
とりあえず彼女が着られそうな服を漁り始めたのだが、自分と彼女とでは圧倒的に体格差があったので、とてもではないが見合う服は貸せそうになかった。

それでもしばらくごそごそ探していると、昔の彼女が忘れていったTシャツが出てきた。
誰のものかは判別できなかったけれど、ラッキーということでそれを渡した。
下は幸いスカートのようだし、さすがにズボンは短パンでも胴回りが違いすぎて貸せたものではなかったので、そのままでいてもらうことにした。
水着らしき服の上からTシャツをがばりと着てみると、少しばかり緩いよいであったが違和感はない程度であったので、よしとした。
今まで部屋に呼んだ元恋人たちはそれほどふくよかな女はいなかったのに、そのうちの誰かの服を着て余裕があるのを見ると、リュックの華奢さを見せつけられた気がした。

「ありがとー!」
「おう」

そこではたと、リュックと同居する上での問題が幾つか頭を過ぎった。
一つは着替えの際どこかに退散しなければならないということ。
別に恋人ではないのだから、幾ら見ないとはいえ同じ部屋の中で着替えさせるのは問題である。
先ほどの様子からして彼女の方は特に頓着していないようであるが、要は気持ちの問題である。

それともう一つ。

(中学生くらいの女・・・の子と同居ってのは、やっぱり問題ありまくりのような・・・)

あれ、犯罪になるのかこれ?なんて今更なことをまた考え始めたギップルは、しかし目の前の女・・・の子がそこら辺の中学生と違うような気がしたので、思い切って訊くことにした。

「お前さ・・・年齢、覚えてる?」
「年齢・・・18、かな?」
「じゅうはち」

(よし、セーフ、だよな?ていうか一つ下?嘘だろ?童顔だなー・・・まあそれはともかく、18なら親が血眼で探してるってこともないだろうし、・・・)

そうしてよくよく考えながら、ギップルはまた改まってリュックのことを見た。
それは、実は初めて彼女を見たときから感じていたことであった。

(何でだろ・・・こいつ、浮世離れしてるっていうか、何か違う気がする)

言葉にするのが難しいところで、ギップルは違和感を感じていたのだ。
まだ半日ほどしか一緒にいない、今まで周りにいなかったタイプの人間だから、慣れていないだけのことかもしれない。
でもそうではなくて、上手く言えないが、何かが決定的に異なる存在のように感じられたのだ。

例えば、こんな奇天烈な格好をしていても、それを疑問として見落としてしまったり。
例えば、18という年齢を聞いてイコール女子高生かと繋げられなかったり。

普通に暮らす人間としての常識を彼女に当てはめるのが、何故か“違う”気がしてならないのだ。

(・・・なーに考えてんだか)

でもそこまで考えて、自分の突飛な考え方に苦笑した。
それではまるで、リュックを人外の存在だと言っているようなものだ。
どこぞのファンタジーでもあるまいし、そんなことがあるはずがない。
人間でなければ何だと言うのだ、天使か悪魔か、はたまた・・・。

はた。

「アホか、俺は」
「は?」
「いーや、何でもねえ。ほら行くぞ」

はたまた、何だというのだ。
まだ脳味噌は疲れてるんだな、と結論し、久々の休日を初めて散歩という行為に費やすべく、ギップルはリュックの手を取った。

ふとこいつと並んで歩いているところを大学の友人に見られたら面倒だな、とも思ったけれど、そのときはイトコだとでも言えばいいか、ということにした。
その辺の設定も考えなければなあと考えたギップルは、今は間違いなくこの状況を楽しんでいたと言えた。









「収穫なしか」
「・・・ごめんね」
「何で謝んだよ、まだたかだか半日じゃねえか。また時間ができたら一緒に回ろうぜ、二人で」
「うん!」

この街でギップルが暮らし始めて、一年と三ヶ月あまりが経とうとしていた。
今の大学に入学が決まり、適度に発達したこの街に、実家から県を三つほどまたいで上京してきたのだ。

一人暮らしも始めの頃は困難で、コンビニ弁当ばかりで過ごしていたこともあった。
それでも恋人ができてからは彼女の手料理を食べることが多くなり、別れてからも手料理の味が忘れられず、遂に料理を覚えることにしたのだ。
パソコン環境は最初から整えていたので適当にメニューを検索しつつ、少しずつレパートリーを増やしていった結果、基本が器用なこの男はこの年齢にしてはなかなかの料理上手になった。

借りている二階建てのアパートから歩きで五分ほどのところに手頃なスーパーがあり、生活必需品は大体そこで買い物をしていた。
また、偶に車で通っている友人に乗せてもらって遠くのショッピングモールに行って衣服を買ったりもしていた。
クリーニング屋も本屋もCDショップもレストランも、大体のものは徒歩20分圏内に存在したので、さして生活に困ることはなかったし、また便利な店はこの一年で大体熟知したつもりだった。

しかし、この辺りに元からいる住人たちについてはあまり知らなかった。
当然交流する場面などほぼ100%なかったし、住宅地にも友人は特にいなかったので足を運んだ事がない。
つまりリュックが仮にこの辺りの住人だとしたら、住人達の憩いの場所なども特に聞き及んでいない彼は力になれないとも思ったのだが、どうせ行くところは同じ街に住んでいる以上同じだろうということで、とりあえず自分がよく行く店を数軒はしごしてみた。

今日のところは空振りだったわけだが、まだまだ行くところはたくさんあるから、可能性はある。
或いは街外ということもあるが、それでもふらふら歩ける範囲だ。
この街は少し東に行くとあまり人が立ち寄らない森があったので、その方面ではないだろう。
そうすると大体方角は決まってくるものだ。
そうして少しずつ範囲を広げて散歩していけばそのうち何かあるだろう、そんな風に簡単に考えた。

「そういや昼飯まだだったな。そろそろ・・・、・・・」
「?」
「・・・お前そういや、朝も食ってないよな?」
「食う・・・ああ、うん」
「腹減っただろ!」
「腹、うん、お腹空いたー」
「アホ、早く言え!」
「またアホって言ったー!」

散歩中も二人は意外と会話が弾み、出会ってまだ一日未満とは思えないほどだった。
内容は特になく、街並について何か言うだけだったりしたのだが、それでも自然に会話が繋がるのは気持ちが良かった。
もしかしたら今まで接してきた異性の中で一番気が合うかも、なんてことも思ったけれど、そのときはそれ以上のことは考えなかった。

それはさておき、食事である。
リュックは本当にほっそりとした女だったので、食が薄いタイプなのかもしれない。
それでもお腹が空いたとなれば食べるのが道理である。
お金はとりあえずしばらく持ってやろうと思いながら、ふと目にとまったラーメン屋に入った。
色気もない店であったが、デートでもないので自分のそのとき食べたい店にしてしまったわけだ。

だからいざメニューを開き、固まってしまったリュックを見て、ラーメンは嫌いだったかと心配してしまった。

「悪い、店替えるか?」
「・・・」

何故かまた、あのモードだ。
“弱い”モード。
これに自分は勝てないと自覚してしまってからは、その勝てなさ加減が上がってしまったようにも思う。

「リュック、これなんてどうだ?ヘルシーラーメンだってさ。・・・とりあえず、頼むな」

反応がないのも訝しみつつ、こちらをチラチラ見ている従業員の視線が気になったので、適当にオーダーしてしまうことにした。
以前女友達がこの店でこのラーメンを食べていたから、これなら大丈夫だろうと踏んでのことだ。

しかし目の前にラーメンが来ても、リュックは動かない。

「体調、悪いのか?」
「・・・」
「なあ、言わねえとわかんねーって」
「・・・ごめん」
「謝られてもわかんねーよ」

お腹を抱えているようなポーズだったので、勝手に腹痛が恥ずかしくて言えなかったのだろうと判断し、食べかけのラーメンを残してトイレに連れてってやった。
チェーン店だったため広い造りの店内を横切り、女子トイレの前まで肩を抱いて移動させ、「俺は先戻ってるけど、気にしなくていいからな」なんて微妙に気を遣って踵を返した。
そのとき。

「ギップル」
「!」

初めて名前を呼ばれたか、と思って驚きを持って振り返ると、どん、と衝撃があった。
そしてそのまま、再び唇を奪われてしまった。

「〜〜〜、って、こら!」

まさかこの場面で、という驚愕で数秒抵抗する事を忘れてしまっていたが、やはり再び舌が進入してきたことで意識が覚醒し、思いっきり引き剥がした。

「だから、お前は、何でいちいちしてくんだ!」

もはや不快というよりも、呆れである。
口元が少し濡れているリュックから、童顔のためか衝撃的な出会いのためか感じなかった色香をほんのり感じてしまって若干動揺したけれど、そんな考えは一瞬で切り捨てた。

しかしその瞬間、また不思議な違和感を感じた。
先ほどまでだんまりと力なくしていたリュックの頬が、赤く艶やかになった気がしたのだ。
それはキスの興奮からとかではなくて、例えば、美味しいものを口いっぱいに味わえたときに見られる喜びのような。

「・・・まさか、な?」

そんな人外な。
でも、今朝も食事中にキスされそうになったし。
もしかしたらこの女はただのキス魔ではないのかもしれない、と思い至った最初の瞬間だった。









continue.









思いの外長くなりました^^;;でも3でここまで書いておきたかったので><
補足として、ギップルは大学二年生です。リュックちゃんは10−2の格好だと思って下さい!ギップルは特に書いてないし考えてもないですが・・・TシャツにGパンとか、そんなんで(適当)でも彼はもっとおしゃれさんかな?格好いいTシャツとか着てそうとか勝手に思ってます(やっぱりTシャツなのか)
あと季節は6月終わりか7月頭あたりです。特に話に関わることもないのですが。。。
リュックちゃんの正体はっきりと出せなかった・・・けど、色々ギップルの勘というか推理で小出ししました。実際はどうなのか・・・は、次かその次で!
(100815)
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