「参ったなぁ・・・」

途方に暮れながらパソコンと睨めっこしているのは、この部屋の主である大学生・ギップルだった。
その背中越しに液晶画面を覗き込んでいるのは、昨日からこの部屋に上がり込んでいる少女・リュックだ。

二人が何を一生懸命見ているかといえば、レストランのサイトのメニュー表であったり、家庭で作れる簡単クッキングのサイトだったり、ご当地グルメの紹介サイトであったり、・・・。
つまりありとあらゆる食べ物の画面を見ていたわけである。

何のためにそんなことをしているのか?
それにはきちんと理由がある訳で。

「あったかぁ?」
「んーん・・・」

そんな押し問答を、かれこれもう二時間ほど続けていた。









Cigarette Kiss
〜Who are you, girl?〜 4










今思えば、事の発端は初日から始まっていたと言えなくもない。
何の初日かといえばつまり、リュックがこの部屋に転がり込んできた最初の日である。
まあ初日というか、昨日の夜の話なのだけれど。
そしてその“事”というのはつまり、彼女が突然けしかけてくる行為・・・キスの、理由についてだ。

つい先ほど帰ってきたラーメン屋でのことが引っかかり、そしてふと思いついてしまったのだ。
彼女にとってキスはそれ以上の意味を持ち、或いは朝御飯を食べたりラーメンを食べたりすることと同意義なのではないか、と。

しかしそんな、メルヘンなことが現実に起こりうるだろうか?
普通に考えれば、その行為をすることは別の意味と捉えがちである。
つまりギップルは最初は事故、二度目以降は彼女に一目惚れされたのだろうくらいに思っていた。
そこは遡れば幼稚園生の時分からもてまくっていた彼である、突然にキスされればああ、また惚れられたのかという思考が回ってしまうのである。

だがどうやら、事実は違ったようで。
違ったようだというのはまだ推測ではあるけれども、限りなくそうであろうという考えの元、とりあえず今は彼女に普通の食べ物で好物があるのかどうかを検索しているわけだ。
それでも二時間余り探しているにも関わらず、今のところ成果はゼロだ。

「ホントにどれも食べたいと思わない?」
「うーーーん・・・、・・・うん」
「まじかよ・・・」

否、ある意味成果は充分である。
つまり驚くべきことではあるが、彼女は食べ物を食べないらしい。
食べない、なんて、人間としてありえないことだ。
もしかしたらダイエット中で故意に食べないようにしているのだろうかとも思ったけれども、しかしかれこれ丸一日食べ物を摂取していない彼女は、ぐうとお腹の虫を鳴らすことも若干でも憔悴した雰囲気を示すこともない。
だからつまり、本当に食べないらしいのだ。

「何者?」

そんなわけだからつまり、そのようなバカみたいな本音がぽろりと口から溢れてしまった訳である。
しかし失言だとすぐにわかり、ぱちんと弾ける勢いで彼女の方を振り向き、「悪い!」と叫んだ。

「いーよ別に。あたしも何か自分が変だなぁっていうのはさすがに気付いてるし」
「そ、そんな言い方しなくても・・・」
「別にいーよ。・・・だって、おかしいじゃん」

おかしい。
それは、実はこの一日の間に何度もギップルが思ったことだ。
何度も迫られたにも関わらず本人曰く無意識らしいキスであったり、思い起こせば突然窓から部屋に転がり込んできた経緯であったり、おかしいところは幾らでも挙げられる。
でもそれはやはり、傍にいた且つ被害者であるとはいえ他人のギップルよりも、本人の方が強く感じていたことらしかった。

しかしそれでもギップルが失言だったことを悔やんだのは、おかしいと自らを認めた彼女が苦しそうな顔をしたからだ。

「記憶がないことと関係あるのかも知れないぜ」
「え」

だから、今自分ができる精一杯の手伝いをしてやりたいと思わずにはいられなかった。

「きっとうちに来る前に、相当ショックなことがあったんだ。それで記憶すっぽ抜けたのと一緒に、食欲がなくなっちまったのさ」
「ショック・・・」
「それに、あー、キスもさ、ショックで怖くて人肌恋しいとか、そういうことじゃねえか」
「・・・」

これは慰めだったかも知れない。
でも、それが今ギップルが考えられる唯一の推測だった。
そう、彼女が人間であるという仮定の元で、の話だ。

彼はまごうことなく理系の人間であった。
とある昔付き合った彼女に話が理屈っぽくて嫌、と言われ、あまつさえ振られたことがあるほどだった。
しかし理系の人間が苦手とする柔軟性も実は兼ね揃えている彼である。
だからふと、本当に何気なく思ってしまって、尚且つはっきりと否定しきれなかった部分も否めない。

(こいつ・・・人間じゃ、なかったりして)

それは理系とかの前にどんな人でも常軌を逸する考えだと思うような推測だ。
実際ギップル自身も、彼女に気を遣うという意味以上に考えに自信を持てないために口にするのを憚るくらいだ。

「ギップル、あの、・・・ありがと」
「・・・ん」
「あたしが落ち込んじゃダメだよね。今だって置いてもらえてるのもありがたいのに・・・うん、がんばる!がんばって、早く思い出すね!」

もやもやした考えは、リュックの笑顔で脳味噌からかき消された。
感情の起伏が激しいらしい彼女は、つまり喜怒哀楽が顔に出やすい素直な性格だ。
だからなのだろうか、彼女の不安に俯く表情を見たくないし、もっと笑っていてほしいと思う。
今も、別に最初に転がり込んできたときから高かったテンションは更にボリュームを上げ、元気百倍!と言った風だ。

「そうだな、俺も協力するから」

だからギップルとしても、自然と笑みが溢れてしまった。
驚いたようにそんなギップルを見たリュックは、ほんの少しだけ頬を赤らめ、そして何故か改まって正座をして彼の隣に座り直した。
ギップルはとりあえず用済みのパソコンをシャットダウンしながら、テレビを付けるべくリモコンを漁っていたので、そんな彼女の様子に気がついていなかった。

「あのさ」
「んん?何だ、やっと腹でも減ったか?」
「何で、あたしを置いてやろうと思ったの?」
「あー・・・」
「だって、超怪しいじゃん、あたし?いっきなし部屋に飛び込んできてさぁ、しかもその前の記憶が全然ない女とか・・・意味わかんないじゃん?」

恐らく、彼女は今になってようやくギップルの親切に疑問を抱いたのだろう。
明るく振る舞っていた彼女はもしかしたら、今の今まで内心混乱していたところがあったのかもしれない。
だから安心させられるような理由を教えてあげたかったけれど、しかしそこは閉口せざるをえなかった。

何故ならとりあえず置いてやる・と決めた当初の理由は、はっきり言ってしまえば、そのとき只の“謎のキス魔”だったリュックを世に放出することが心配だったからだ。
・・・今思うと、何て理由だとは思う、けれど、まあ本当のところはそうなのだ。
でもさすがにそれを本人に伝えるわけにはいかない。
それに、今思う“家に置く理由”は、別のところにあると思うから。

「・・・」
「・・・ギップル?」

しかしそれは言葉にしようとすると酷く曖昧で、もしかしたらはっきりした理由ではないのかも知れない。
そのギップルの様子を見て何となく不安になったのか、リュックは眉根に少しばかり皺を寄せて、顔を覗き込んでくる。
やめてくれ、俺はそれに弱いんだ!
精神的に追いつめられながらも何を言っていいのかわからず、唸り続けた彼が漸く口に出したのは、苦し紛れにしても理由になりきれていない言葉。

「笑った顔が見たい・・・」
「え?ごめん、聞き取れなかった」
「っ!」

思わず溢れた言葉は何と言おうか考えに考えた結果、考えすぎて、そのとき脳裏を過ぎった言葉をぽろりと溢してしまっただけだった。
正直、自分で言った言葉に自分で驚いてしまった状態である。
しかしそれは逆に言えば本音を言ってしまったのかもしれない、と思うとどうにもこうにも居たたまれず、頬に血が上っていくのを瞬時に感じた。

声が小さすぎたためにリュックが聞き取れなかったことは、不幸中の幸いであった。

「何でもない!」
「はあ?」
「心配だったんだよ!それでいいだろ!」
「ま、まー、あたしはありがたいからいーけどさぁ・・・よっくわかんないなー」
「わかんなくていいんだよ!親切ってそういうもんなの!」

唇を尖らせながら、「あたしは悪いと思って言ってるのにー」なんて言っているリュックを傍目で見ながら、ギップルは背筋につ・と汗が流れたのを感じ、焦った。
何を言っているんだ、自分!という自己嫌悪である。

(まあ確かに明るくて素直で可愛いけど、まだ一日しか一緒にいねぇけど、話も尽きないし一緒にいて飽きないけど、こいつが笑うと何か嬉しいけど、けど!違う!別にそういうんじゃねえ!)

嬉しくはないが友人から百戦錬磨の二つ名を頂いたことがあるくらいの男である。
それにも関わらず、今更甘酸っぱい雰囲気と遭遇しそうになり、カルチャーショックくらいに動揺していた。

「・・・あのさぁ」
「何!」

そんな状態なものだから、再び声をかけられて不機嫌そうな勢いで返事をしてしまった。
そのせいでリュックは怯んだのか、今言おうとしたことに躊躇をしてしまったようで、もごもごと口ごもった末、何でもないと呟いた。

「何だよ、言えって」

格好が悪い思いをしながら、しかしここで話を聞いてやらないことはまたきまりが悪いと思い、とりあえず動揺と不機嫌を胸のうちに引っ込め、ちょい・と肩を小突いてやった。

「・・・あの」
「うん」
「あたし、本当に寂しいとか不安だからとかでそうしてたかわかんないんだけど」
「うん」
「自分でもよく理由がわかんなくて、でも何でかわかんないけどそうしたいって気持ち、っていうか、欲求が湧いてくるっていうか」
「・・・あー」

つまり、キスの話だろう。
これだけ言いづらそうにしているということは、恐らくまた無意識に湧いてくる“キスしたい”願望に従いたいのだがよろしいでしょうか・という質問に違いない。

正直、まだ抵抗はある。
遂今しがた彼女に好感を持っているかも知れない・なんて思ったけれど、それとこれとは別の話だ。

ギップルが別にキスすることに抵抗するほどまだ気持ちがウブなのだとか、そういうことでは全くない。
ただ、女の子にのしかかられるようにキスを求められることと、リュックという人にキスをすることに、抵抗があるのだ。
前者はともかく、後者については、何故かそう思ってしまう節があった。
一番最初のキスは、勿論何も考えられる隙はなかった。
でも今朝とラーメン屋に至っては、そう思ってしまった。
何故かなんてわからない。
わからないけれど、わからないなりに、確信めいた感情に突き動かされて、どちらもはっきりと拒否したのだ。

「ここ」
「?」

でも。
今、いいかもしれないと満更でもない気分になってしまっているのは、流されてしまっているのだろうか。
彼女の頬を指差しながら、ギップルは苦笑気味に答えた。

「ここなら、してもいいぜ?」
「・・・ホント?」
「ああ」

嬉しそうな顔は、しかしいざお許しが出ると緊張するのか、少しの間そわそわと迷うように上半身を揺らしていた。
それに焦れたギップルがしないのか・と催促をすると、きっと意を決したような表情を見せ、じりじりとにじり寄ってきた。
緊張を押さえつけているせいか震えが出ている掌をそうっと伸ばし、微笑を浮かべたギップルの頬を片方、包んだ。
もう片方の頬に、キスをしようという腹らしい。

一方のギップルは、微笑を浮かべているというのは虚勢にすぎない。
まあ緊張しているらしいリュックを落ち着けるためというのもあるけれど、それよりも自分が落ち着こうという気持ちの表れだったりする。
何故今更キスの一つや二つ、しかもいわゆる“ほっぺにちゅ”でこれほど緊張しなければならないのか、何だか間抜けな気もしたけれど、緊張が移ってきてしまうのだから仕方がない。
そう、飽くまで移ってきてしまっているだけだ。

ちゅ

ゆっくりと近づいてきたリュックは途中から目を閉じていたので狙いを測り損ねたのか、唇に限りなく近いところにキスを落とした。
しかも唇をくっつけるだけのキスにも関わらずたっぷり5秒ほど離れなかったので、うっかり目を開けっ放しにしてしまったギップルは更に緊張した上に動揺してしまい、カチンと固まってしまった。
本当に、柄にもないことだ。

「・・・ありがと」

ここ24時間で何度かありがとうと言われたけれど、このときの至近距離で、しかも笑顔で言われたありがとうほど、深く感じ入った言葉はなかった。









continue.









恥ずかしい・・・。というわけで、4です。もう4なんですが、大して話が進んでないような気がします。笑
ギップル、惚れちゃった?私にもよくわかりませんー!
リュックちゃん、あんまし喋ってなくない?私もここに来てそんな気がしてきましたー!(まあこれに関しては視点が一応ギップルだから、最初の頃は未確認物体(笑)のリュックちゃんとの会話があんま頭に入ってなかったとか、それほど重要な会話はないから端折ったとか、ちょっとどうでもいい理由があるんですが^^;;)
お話はそろそろ起承転結の転に行こうかと思います。あっ勿論第1章の転です!
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