リュックという謎の女性が部屋に転がり込んでから三日目。
二日目はとりあえず、外を散策してみたり好物を探してみたりしたけれど、結局ほぼ収穫なしで終わった。
因みにベッドを彼女に譲り、部屋の主はクッションを枕にして来客用の掛け布団を引っ張り出して床に眠った。
ら、寝相が悪いらしい彼女がベッドから落ちてきて夜中に腹の上に落ちてきたりしたのだが、そこはまあいいとして。

まあとりあえず、三日目。
ギップルは大学に行かねばならなかった。









Cigarette Kiss
〜Who are you, girl?〜 5










「どうすっかな」
「ん?」

トーストをかじりながら、目の前に座って水を飲んでいるリュックを眺めて呟いた。
呟かれた方は言葉の意味がわからず、小首を傾げて聞き返すしかない。

「今日俺、でかけなきゃなんねーんだ。留守番できる?」
「ここにいればいいんでしょ?できるに決まってんじゃん!」
「まあそれはそうなんだけど・・・帰ってくるの、夜になると思うんだよな」
「夜?」
「うん、日が暮れてから。下手すると、12時すぎるかも」

今日のスケジュールは、元々ハードだった。
先日一日漬けで行った実験に関して、今日は一日かけて検証しなくてはならなかったのだ。
今日中に終わらせる必要はなかったのだが、その検証を一緒に行う仲間と夕方から飲み会の約束をしていたので、どうにも抜けることが難しいというわけだ。
特に今日は教授も参加する会合であったので、ますます出席せざるをえなかったのだった。

「大丈夫?」
「うん」
「でも、ほら・・・食事、とか」
「うーん・・・何とかなるよ。逆にほら、お腹が空いて普通にご飯食べられるようになるかもだよ?」

昨日はずっと一緒にいたとはいえ、初めて来た部屋で一日軟禁状態でいなくてはならないことは、ただでさえ精神状態がよろしくない彼女にとっては決していいことではないと、素人の考えでもわかった。
しかし今日はどうしようもなく、ただなるべく早く帰ってこられるようにする、としか伝えてやることができなかった。

「何かあったら連絡して。・・・って、携帯とか、ある?」
「・・・ない」
「だよなぁ・・・」

リュックはあの日、身一つでこの部屋に上がり込んできたのだ。
連絡手段がないことが唯一気がかりであったけれど、ギップルの通う大学はアパートから歩いて10分ほどの場所であり、しかも単純な道であったことから、とりあえず簡単な地図だけ残し、「何かあったら来て」と無謀にも指示し、急いで家を出た。

「行ってらっしゃ〜い」

間の抜けた、とも言えるリュックの言葉に、大丈夫だろうという漠然とした安心を抱えてギップルは歩いた。









「ギップル、これ何枚重ねでやったっけ?」
「・・・」
「おーい、起きてるかぁ?」
「はっ」

ぱこん、いい音で頭を叩かれたギップルは、自分が数秒トリップしていたことに漸く気がついた。
数秒というのはもしかしたら、数分かも知れないけれど。
しっかりしろよ、という友人の手に丸められた参考書の束が見受けられたので、午前中受けた凶器よりも随分とよい景気づけを貰ってしまったものだ、なんて、やっぱり遠くの方で思った。

現在夕方の4時半である。
家に残してきた彼女のことを考えたのは数回ほどで、それ以外は完璧に研究に集中していたと断言できる。
ただ、その数回は完璧にトリップしてしまっていたこともまた断言できるので、少しまずいな、と思った。

「何、風邪とか?」

気のいい友人は、らしくないことを繰り返すギップルに対して労いをかけた。
ミスさえしていないとはいうものの、心配をかけているらしいことに若干恥ずかしさを感じたことから、すまないとだけ謝った。
本当の理由は、今はちょっと、口が裂けても言えないというか。

「何だよ、言えないってか。女?・・・のわけねえか、お前だもんな!」
「・・・」

何故かと言えば、これだからだ。
この友人に限らず、他の彼に近しい人間に、ギップルが調子が悪いとしたら原因は女にあると思うか、と尋ねたとしたら、首を縦に振る人間は皆無だろう。
女っ気がないわけではない、むしろありまくっている。
それでも長くて3ヶ月しか続いていない彼の女性との交際歴を考えると、そしてそれを何でもないことのように捉えているらしい彼の態度を踏まえると、やはり女性問題で身を壊すような男ではないと思うのが普通だった。

だがしかし、現在彼のらしさを壊している理由はと言えば、正しく・・・少しずれるものの、女性問題であるのだから、世の中何が起こるかわからないというものだ。
そうして奇異の目で見られるのが嫌だから、また言ったところで色々面倒だから、ギップルは口を噤んだままだ。

「ギップル隊長がまたトリップいたしましたので、とりあえず10分ほど休憩〜!」

そんな、人を小馬鹿にしたような指示が今日のリーダーから発せられたので、むっと眉根を寄せたものの、助かったとばかりにほうと息を吐いた。
漸くまとまってきた資料を眺めながら、ぼんやりしていたらまた目の前に彼女の顔が浮かんだ。
昨日の夜見た、嬉しそうにはにかんだリュックの顔だった。

胸が温かくなるのを感じた。
同時に、心臓を直接くすぐられているような、落ち着かない気分になった。

まだ何かを食べた実績がないものの、おにぎりと簡単な野菜炒めを置いてきた。
多めに作り置いてきたから、足りないと困ることはないだろう。
しかしそれは、彼女が本当に精神的に食欲が失せてる場合の対処だ。
万が一彼女が、非科学的な存在だったとすれば。
今頃彼女は、どうなっているのだろうか。

「・・・・・・・・・・・・」

掌に、変な汗がじわりと浮かんだのを感じた。

仮に、キスすることが栄養である奇異な存在であるとして。
その効力は、如何ほどのものなのだろうか。
彼女とキスしたのは、3回・・・間隔にして約12時間ほどだった。
最後にキスしたのは昨日の夜だから、既に12時間は優に経過していた。

(・・・大丈夫、だよな)

この仮定が、そもそも確率的にありえないことなのだから、まさに杞憂だとも言えた。
これで意外と、残してきた食事をもりもりと残さず食べていたりするのではないだろうか。
それが普通の話、確率的に最も信じられる話だ。

でも万が一、確率の低い仮定が真実だとしたら?
もし今帰ったとして、食事に全く手が付けられていなくて、自分の帰りを今か今かと待っていたとしたら?

幾ら食が薄い人間だとしても、丸二日何も食べなかったとしたら、それは異常だ。
そうしたら、認めざるを得ないのだ。
普通ではない自分の正体に彼女はおののくかも知れないけれど、悲しい顔をされてしまうかもしれないけれど、それでも認めて、探すしかない。
本当に自分は、何者なのかということを。

(・・・いや、ごちゃごちゃ理由つけてるけど、ホントは正体とかどうでもよくて、ただ俺は)

ぐしゃ!
書類を手で握りつぶしてしまったギップルは、急いで研究室を飛び出した。
呼び止められたような気がしたけれど、最早どうでもいいことだった。









「リュック!」

これほど全速力で走ったのは久しぶりだった。
慌てていたので鍵穴に鍵が上手く入れられず、思った以上に動揺している自分を思い知った。

そしてギップルが見たのは、あっけらかんとテレビを見ているリュックだった。

「あ、おかえり〜」
「・・・・・・え」
「あれ、もっと遅いっぽいこと言ってなかったっけ?もう終わったの?」
「・・・いや、・・・」

ベッドを背にちょこんと床に座り込み、ドアのところで棒立ちに自分を凝視するギップルを、不思議そうにリュックは見つめた。
不思議そうにしながら、でも彼の早い帰宅が嬉しそうで、今にも尻尾を振り出しそうな様子である。

「いや、その・・・ちょっとな、忘れ物」
「忘れ物ぉ?なーんだぁ」

おてんばだねぇ、なんて言いながら、また視線をテレビに戻した。
自分が考えすぎていたことに若干恥ずかしさを覚えながら、どこかほっとした気分で、ありもしない忘れ物を少し探した。
そうしながらちらちらと彼女を観察したけれど、特に不自然なところもなく、どうやら本当に杞憂だった事を思い知らされた。

(心配しすぎだっつの、俺)

自分で自分に嘲笑しながら、小腹が空いたついでに冷蔵庫のものを何かつまんでから戻ろうと、キッチンへ行った。

「っ!」

反射的に、ギップルは踵を返した。
向かったのはまごうことなく、彼女の元だ。
どたどたと大きな足跡が背後でしたため、驚きながらリュックは振り向いた。

「どーしたの、そんなに慌て、て、・・・」

振り向いたそのまま、顎を取られた。
背中のベッドが、ぎしりと音を立てて二人分の体重を支えた。
部屋の中には数十秒間、唇を離すまで、リュックの苦しそうな息づかいだけが響いていた。

「、・・・、は、・・・」

はあ。
漸く離れたギップルは、何が起こったのかわからないとでもいいたげなリュックの瞳を3秒見つめるのがやっとで、急いで身体を離し、背中を向けた。

「わわわ、悪い!」

そして口から出たのは、呂律をやっと回して言えたそんな言葉。
我に返ってみて、自分の衝動に動揺するしかなかった。
冷蔵庫に朝置いていったまま全くの手つかずで残されていた食糧を見たら、身体が勝手に動いたのだ。
最早言い訳すら思い浮かばず、サイアクだ、と思わずにはいられなかった。

「ごめん、ホントに!あの、殴ってくれて、構わねぇから・・・」

後から後から流れる掌や背中の冷や汗を感じながら、卑怯とは思いつつ彼女の反応を待った。
すると返ってきたのは、温かい掌だった。
ぽん、とかわいい音がしそうな雰囲気で、ギップルの背中に掌が置かれた。

「でも、あたしのこと、心配してくれたんでしょ?」
「・・・」
「ギップルのお陰で元気出てきたよ?ありがとう」

リュックのためなんて綺麗な気持ちだけでは100%なかったことは、ギップル自身がわかっていた。
それでも昨夜見たような笑顔でまたお礼を言われてしまっては、何を返すこともできず、ただこくりと頷くしかできず、自分の不甲斐なさを痛感させられてしまった。

(ごめん、リュック、俺は・・・)

また、こうして衝動的にキスをしてしまうかもしれない。
背中の温かい感触に甘えながら、情けない自分を呪った。









continue.









衝動に勝てず、ちゅーしちゃったという、何この、情けない話・・・笑
ちゅーは予定ではしなかったんですけど、趣味のようにさせてしまいました。いやもう裏テーマちゅーなので(・・・)いいかなと!いいよねと!
ギップルさん、本格的にリュックちゃんに惚れてきました^^*自覚もそろそろした・・・よね、ここまできたら。笑
次かその次辺りで一章は終わります。さくさく書きたいんですが・・・どうかなー。
(101006)
inserted by FC2 system