ぎこちない空気が流れていると思ったのは、もちろん二人ともだった。
特にギップルとしてはこの居たたまれない空間を作ったという自覚が十二分にあったので、更に輪をかけて居たたまれないと感じているのだった。









Cigarette Kiss
〜Who are you, girl?〜 6










結局、ギップルは大学の授業の途中で抜け出してきてしまったわけであるが、それについてはあまり焦っていなかった。
むしろあの後、堂々とした風情で研究所にいる友人に電話をし、急な体調不良で今日は戻れない・と言い切ってしまった。
電話の向こうには呆気にとられた、どう反応してよいのかわからない友人がいたのだが、お構い無し。
最後まで威風堂々の体を貫き、遂には残りの仕事を全て友人に押し付けて通話を終了させてしまったのだった。

ブツリ。
無機質なその音を合図に、部屋はまた微妙な静けさに落ち、今に至る。

「・・・」
「・・・」
「・・・お腹空いた?」
「え?」

そんな中、遂に口火を切ったのはリュックである。
それまで右往左往していたギップルの目玉とは異なり、彼女の目玉はベッドと対角辺りにある窓の桟をじっと見据えていたのだが、その視線はそのままに口だけを彼に注目した。

対するギップルは、最近キーワードになりつつあるお腹が空いただの満腹だのの言葉に必要以上に過敏な反応を示したが、実際空腹だったので素直に頷いた。

頷いてから思ったことは、以前よりも空腹を感じることが増えたということだ。
元々食欲は旺盛であったが、それにも増して食べるようになった気がするのだ。
特に彼女がこの部屋に住まうようになってから・・・。

「あのね、買い物行かない?」
「買い物?」
「うん」

何故?と尋ねれば、返ってきたのは曖昧な笑み。
否曖昧というよりもむしろ、困ったような、悲しいような印象さえ受けた。
あまり見つめていると、こちらが泣き出してしまいそうな心地に襲われた。

「あたし、何か食べたいな」
「リュック」

率直な言葉は逆に真意が図りづらく、危うくそのままの意味として受け入れそうになった。
しかしこの話題を繊細に扱ってきた今までの流れからすれば、そしてそのはっきりとした物言いからは、リュックのある一つの決意を感じさせた。

「普通の人みたいに・・・ていうか、普通に朝昼晩食べたいっていうか、・・・」

やはり、そうだ。
しかしギップルはそれに対して何と答えてよいのかわからず、すぐには何も返せなかった。
一生懸命言葉を紡ぐリュックに助け船を出すとか、気にするなと肩を叩いてやるとか、せめて笑みを返してやるとか、フォローのやり方はいくらでもある筈なのに、指先を動かすことすらできない。
汗ばんだ指の腹を違和感に思いながら、鼻先を辛うじて彼女の額に向けること、しか。

「ね?」

可愛らしく小首を傾げた彼女に、微かに頷くのが精一杯だった。
笑えていただろうか。
声に出して肯定できただろうか。
最早自分の知覚が自分でわからなくて、焦った。
目の前のリュックがふんわりと笑っていたから、少しは笑えていただろうか。

おかしいことだ、仮に人であってもそうでなくても、すぐに死ぬとかいうわけでもないというのに、今の彼女を見ていると、竦み上がる思いだ。
むしろ今彼女が泣いたら、自分は死んでしまうのではないかと思った。







リュックに自分の服を着せ、連れ立って近所のスーパーに入った。
たまの自炊で通っていたスーパーは、しかし忙しい昨今はそのために、足数が減っていたことを思い出した。
閉店間際のスーパーは、安売りが始まるためか、予想以上に閑散とはしておらず、若干の賑わいを見せていた。
そんな中、端から見れば若いカップルの二人は、自分たちが思う以上に目立っていた。

それを終始気にしないのはリュックである。
というよりも、興味を持てる食材探しに必死で、ギップルの隣にいながらも視線はきょろきょろと飛び回っていたのだ。

対して体半分意識しているのは隣のギップルだ。
勿論ここには彼女のために来たのである、それこそこちらまで泣きそうなほど切羽詰まった気持ちの上で、ぎりぎりの面持ちでこのスーパーの入り口まで歩いてきたわけである。

そうなのであるが、自動ドアを跨いだ瞬間からちょくちょく突き刺さる奥様方の視線に、冷や汗をかいてしまっていた。
奥様方というのはパートのレジ打ちや買い物客のことで、実際には彼女たちはギップルらのことなど気にも留めていないのであるが、中途半端にギップルの方が彼女たちのことを気にし出してしまったがために、一方的に思い込み出してしまったのだ。
そんなわけで、プチ葛藤を起こしてしまっていたりするのである。

(距離、近すぎか?いやでも少しでも離れたらここに初めて来たリュックを不安にさせちまう。また不安な顔させるなんてごめんだ。・・・手とか、繋いだ方が安心だろうか・・・、!いやいやいや!明らかに誤解生むだろ!おかしいだろ!やっぱりここはこのくらいの距離で、いやしかしもう少し近く・・・いや遠く・・・)

「ねえってば!」
「!」

虚構空間から突如としてギップルを引き戻したのは、目下空間を支配していた彼女だった。
つい今しがたまで、自分の左肩の辺りをふよふよと金色のポニーテールが泳いでいたのに、現在は緑色の、よく見れば渦巻きがかった瞳に吸い込まれるように捉えられていた。

「な、何」
「何じゃなーい!こっちは大発見したから教えたげようと思ったのにさ!」
「もしかして食べられそうなもんあったか!?」
「っ!あったけど、ぜーったい教えない!」

ぶう。
不貞腐れて頬を膨らませてしまった彼女は、教えないと言いつつ、そっぽを向きつつ、彼の隣を離れようとしない。
おまけに、両の唇をもじもじさせている。
それプラス、緑目があっちに行ったりこっちに行ったりしている。

「ぶっ」
「!!」

大きく吹き出してしまったのは、最早不可抗力だった。
何故なら彼女の反応はそれほどわかりやすかったし、面白かったし、可愛かったからである。

「信じらんない!ホントに教えたげないんだかんね!」
「悪かったって、な、教えてくれよ」

顔を真っ赤にしてヘソを曲げた彼女の旋毛は丁度ポンポン・と叩きやすいところにあって、手が自然と伸びた。

「・・・しょーがないなぁ、あのね!」

するとうっすら紅潮していた頬には更に桃色が刺し、得意気にギップルの手を引いて歩き出した。
その耳たぶを見ながら、春に色づく桜のようだ・なんて詩人めいた言葉がフッと浮かんで、暫く頭の中に漂っていた。
あの感情に気づきだしてから、自分でもらしくない反応や行動をしてしまって、戸惑う一方で嬉しいと思う。
新しい一つ一つの感情や行動が、自分にとってこれが大切なもので本気のものだと思わせてくれるからだ。







リュックが何となく食べられそうな気がすると言ったのは、林檎だった。
楽しそうに林檎をお手玉する彼女は、その事実が嬉しかったらしく見るからに気分が高揚している様子で、こちらも勿論嬉しかったけれど、更に嬉しくなった。

3つで一袋の安売りをしていたのでとりあえず一袋購入し、帰路に着いた。
人並みに料理はするものの、林檎を使った料理の類いはとんとしたことはない。
どうしようかと思案して、普通にカットすればいいかなと思うものの、恐らく明日には林檎を用いたレシピを検索し、材料の購入にこのスーパーに戻るのだろうとほぼ確信している。

最早弱み、なのだ。
それがわかってしまう程度には、もう。

「あのさぁ」
「ん?」

そんな風に物思いに耽っていたら、リュックが口を開いた。
別段沈黙していたわけではなくて、ギップルが考え事をしながら会話していただけだ。
つまりやや上の空だったわけで、それを突っ込まれるのかと一瞬ヒヤリとした、が、杞憂だった。

「話題めっちゃ変わるけどいい?」
「勿論」

変わると断られたところで、その前の話題が曖昧だったから、ありがたい位であった。
しかし快諾したにも関わらず、当のリュックは言いづらいのか、もじもじしている。

「えっと・・・ねー」
「何?」
「むー」

そのまま10秒あまり一人で葛藤し、しかしちらりとギップルを見たかと思いきや、急に足を早めて「やっぱいいやー!」と宣り、すたすたと先を歩いていってしまう。
よくないのは勿論ギップルである。

「何だよ、言ってみって」
「いーの、やめたの!」
「気になるだろ」
「忘れて忘れて!なしなし!」

あまりに頑ななので、冗談混じりにこう返してみた。
自分の気持ちは置いておいた上で、飽くまで場を和ます為というか、雰囲気に便乗しただけである。
まさかこれが正解だなんて、思う筈もなく。

「何、俺のこと好きになっちゃったの?」
「・・・!」

がばりとこちらを見上げたのは一瞬で、すぐに目線は逸らされた。

恐らく先程葛藤したのは、どう切り出していいのかわからなくなったとか、そもそも直接的に言うのは戸惑われたから気の利いた言い方を探ったけれど思い浮かばなかったとか、そういう理由だろう。
だから言い出してみたのはいいものの、後手が決まらず足踏みし、結局止めたのだ。
そういう訳だから、まさか相手からその類いの話題提起を受けるとは思わず、どうすればいいのかわからなくなってしまったのだろう。

そう推理した根拠は特になく、単にそうだったら嬉しいという期待からだった。
そう、恋愛小説のように、リアリストらしからずロマンチックに期待なんてものをしてしまったのだ。
だから一瞬見えた彼女の真っ赤な顔から、ここまで想像が膨らんでしまったのだ。

「な、何言ってんの」
「あ・・・悪い」

女性とこうした空気を共有するのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。
相手からの一方的な空気を感じることはよくあったけれど、自分はそれに飲まれたことがなくて、むしろコントロールする側だった。
相手の出方や態度を、余裕綽々と楽しむ側だった。

今は確かに楽しい、が、明らかに今までとは違う。
シェイクスピアからロミオになってしまったかのように、浮いてしまう足を必死に抑え ながら、ただひたすら彼女のことを考えた。

弛む頬を隠しながら、彼女の隣を歩いた。
あまり芸はないけれど、ウサギのカットで手軽に可愛く見立てるなり何なりして、早く林檎を食べてしまいたくて仕方がなかった。

「ギップル?」

そんな気分をぶち壊すに足る一声、だった。









continue.









ドキドキしてそわそわして、最後に冷や水に足突っ込んだ感じです(わかりやすいようなわかりにくいような)。ギップルがほぼ終始デレデレですいません^^;;笑
最後の台詞はオリキャラとなります。それほど出張りませんがご注意ください><
てか前回更新から約2ヶ月と時間が空いてしまいました・・・すいません;;7は同時アップとなりますので、よろしければ併せてご覧ください!
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