振り返れば本当に短い時間で、しかし思い出されるのは驚いたこと、喜んだこと、嬉しかったこと、笑い合ったこと・・・たくさんのことが色鮮やかに脳内を支配する。 だけれども網膜に焼きついたのは、大粒の涙を溢す姿だった。 Cigarette Kiss 〜I wanna be with you, baby.〜 4 綺麗な星空だった。 これほどの満天の夜空は久しぶりで、見慣れた筈のギップルですら感嘆の溜め息が漏れたほどだ。 ましてやリュックに至っては、「うひゃーっ」と奇声を発しながら子どものようにはしゃいでいた。 「ギップル!何これ!超ヤバいね!」 「ああ・・・これほどは、珍しいな」 二人とも空から目を離せない。 狭いベランダから身を乗り出して、肩を寄せ合って。 直前まで二人で作っていた野菜ジュースのコップを溢しそうになりながら、それでも放さない。 否もしかしたら、空に夢中で持っていることを一時的に忘れてすらいるかも知れなかった。 「星空くらいは、覚えてる?」 「―・・・」 何となく訊ねたことだった。 深い意味は全くなく、ただ今こうして星空の感動を分け合えたから、過去に空を見たことくらいは覚えているのではないかと期待したのだ。 これ以上思い出して欲しくないと思う一方で、こうしたロマンチックなことは覚えていたらいいのに、或いは思い出せばいいのに・などと思ってしまうのは、図太いとも思うけれど。 まあもしかしたら、ただこうして喜びを共有できて、嬉しくてはしゃいだだけかも知れなかったけれど。 しかしどうしたことか、こうして何気なく口にした疑問は、リュックの笑顔を凍らせる結果となってしまった。 「いや、どうでもいいよな星空なんて!気にすんな、な!」 期せずして崩してしまった雰囲気を取り戻したくて、ギップルはいっそやり過ぎなくらいにふざけた声を出した。 その勢いのままわしゃわしゃとリュックの金髪を撫で、最後にポン・と軽く肩を叩いた。 そうして、反応待ち。 「・・・」 もしかしたら、それすらも思い出としてはないのかも知れない。 だから先程も驚くくらいに騒いでいたのかも知れなかった。 そうだとしたら、また不謹慎なことを言ってしまったことになる・・・。 「あるよ、前にも」 「え」 持ち上がったリュックの表情は、柔らかだった。 「ごめんね、ギップルに言われた途端にたくさん思い出しちゃって、頭がついてかなかったよ」 「たくさん・・・星空を?」 柔らかく笑んでいる。 それなのに、どこか寂しそうだと感じるのは、今の一瞬を儚く感じるからだろうか。 「・・・そーだね、色んなとこで見た、色んな空」 そんな遠い目をしないでほしい。 今現在何故か生じた胸騒ぎが、余計苦しくなるから。 先程触れた肩がより細く思われる。 目の前で語る彼女が、星空に吸い込まれてしまうような、錯覚。 「それ、全部教えてくれないか」 「あは、全部?」 「そう」 全部。 口から出るより先に、その儚い存在を一刻も早く捕まえなければならないと思った。 ジュースのコップは理性が回るうちに部屋の床に置いた。 空いた両手で壊さないようにそっと、リュックを抱き締めた。 「ギ、」 「好きだ」 「え」 「なくした記憶を探す手伝いは勿論する。何だって手伝ってやる。・・・だからずっと、傍にいてくれないか?」 ついに、言った。 人生初の本気の告白やも知れなかった。 幾度も女性を抱いてきたこの手が、こんなに震えているところは今だ曾て見たことがない。 辛うじてムードはあったけれど、余裕なんて更々なかった。 しかし拒否される気は不思議としなかった。 自分が女性によく好かれる性質だからとかではなく、今までの彼女との時間を考えたとき、彼女も少なからず自分に好意を持ってくれていると思えたからだ。 今すぐ気持ちを受け入れてくれなくてもいい、そもそも今も、ポロリと口から零れて自然と手が伸びてしまったに過ぎない(つまり我慢の限界だったのやも知れないが、まあそれはさておき)。 また今までのように、時間を重ねていければ、いつか。 「・・・ね」 「え?」 胸の中の彼女が何か呟いた。 何と言われるのだろうか、考えたことがなかったと少女のような恥じらいでもいい、実は私もと女性の可愛らしさを出してくれたら舞い上がってしまう、考えさせてと距離を置かれても待ってみせる。 そんなことを一瞬で考え、彼女を解放した。 どんな反応でもいい、ただ。 「ごめんね」 泣き顔でさえ、なければ。 「え・・・リュック?何で、」 「ごめん・・・!」 そう言うなり、リュックは弾けるように消えた。 そう、煙のように消え失せてしまったのだ。 「・・・・・・は?」 思考回路が上手く働かない。 今起こった出来事が、全く理解できなかった。 たった十分ほど前、彼女は此処にいたのに。 一緒に夜空を眺め、同じ感情を共有していたのに。 その更に一時間ほど前には、一緒に近所のスーパーに買い物に行った。 彼女が興味を示す野菜や果物をまた片っ端から購入し、とりあえずまた食べてみようと笑い合った。 でも今夜は上手い調理法が思いつかず、ギップルが田舎の両親に以前送ってもらってそれきりだった襖の奥のミキサーを引っ張り出し、全て一緒くたにして混ぜ合わせたのだ。 気持ちで蜂蜜や牛乳を少し入れておいたお陰でまろやかでなかなか美味しいジュースができたと、二人で笑った。 そのジュースは今、一つは部屋とベランダを繋ぐ硝子戸の脇にあり、一つは持ち主を失ってベランダの床にひっくり返り、中身をぶちまけた。 夜空はまだ美しく、星はところ狭しと珍しいくらいに輝いている。 彼女の熱もこの掌にまだ残っている。 ただ彼女だけが・・・リュックだけが、一瞬で失われてしまった。 「何が、起こったんだ?」 科学的にも信じられないし、心情としても信じられなかった。 とにかくそうして、突然傍にいるようになった同居人は、忽然とギップルの前から消えてしまったのだった。 * 一夜が明けた。 最近はベッドをリュックに与え自分は床で眠っていたのだが、その彼女はもういない。 でも何となくベッドで眠る気にはなれず、またいつものように床に転がった。 そして自然と思い出される、否目に焼きついてしまった涙。 眠れる筈もなかった。 何がいけなかったのか。 あの流れでいけなかったことがあるとすればやはり、告白をしてしまったことだろうか。 これまで仲良くしていたけれど、所詮はエネルギーを与えてくれる人間に過ぎず、好意を向けられるなんて煩わしいだけであったのだろうか・・・。 (自分で考えて、泣きそうだ) これは報いだろうか。 今まで女性を軽んじてきた自分は、本当に好きになった女性と結ばれるなんて叶わない夢なのだろうか。 そもそも本気で女性に心奪われるなんて馬鹿げていたのではないか? 自分は浮わついた心など捨てて、もっとやるべきことに没頭すべき、なのでは。 (いや) 馬鹿げているなんてあり得ない。 浮わついたなんて生易しい感情ではない。 何故なら今だって、彼女を思うだけで胸が張り裂けそうだ。 あの涙を拭いてやりたいのだ。 また一緒に笑い合いたいのだから。 でも彼女は、どこにいるのだろうか。 (探す・・・にしても、手がかりが) ない。 あるとすれば、今まで彼女と回った“記憶にあるかも知れない”場所、あとはスーパーくらいだろうか。 それでも何もないよりはましである。 行かないよりは行った方が何かあるかも知れない。 それならば、行くしかない。 ノロノロと立ち上がり、まずシャワーを浴びた。 ご飯も食べる、歯も磨く。 幾つか持っているうちの中でも気に入っているシャツに袖を通し、髪の毛もワックスで固めた。 (よし、) 探しに行こう。 真摯な気持ちが身体中を支配する。 もしかしたら何にもならないかも知れない、既にこの街を離れ別の街にいるかも知れない、或いは記憶を全て取り戻し、あるべき場所へ帰ってしまったのかも知れない。 それでも動かなければ気が済まなかった。 可能性が少しでも潰したくはなかった。 大きく膨らむ気持ちに、使命感のような感情が帯びた。 最早立ち止まれない、彼女を求めて進むしかない。 例え、無駄な努力に終わろうとも。 continue. 急展開になりました。リュックさんはじけて消えたとか、シャボン玉かお前みたいな。でもイメージはそんな感じです、あの場面。 さて、暫くギップルさんには頑張って頂きます。でもすぐどうにかはなりますが! (20120713) |