街の外れにあるちょっとした山の麓、その山道、そこに辿り着くまでの道中にある並木道、カップルに人気のカフェ、よく大学生がたむろしている公園、いつものスーパー、等々。
思いつく場所は全て回った。
しかも全て探しながら、そしてたまに現れないかと期待しての待ちながらであったから、一つの場所を巡るのに半日を費やすこともザラであった。

しかしやはり、出会えない。









Cigarette Kiss
〜I wanna be with you, baby.〜 5










ジリリリリ

「と、」

不意に携帯電話が鳴った。
ポケットに突っ込んだまま半ば存在を忘れていたそれは、控え目に黒電話の音で存在を主張した。

「はい」
『ギップル生きてたか!』
「何だお前か」

そして電話機の向こうからは聞き慣れた友人・ケヤックの声。

「ナニ」
『何ってことはねーだろ!一週間近く音信不通の友達いたら心配すんだろフツー』
「一週間・・・」

そうか、とギップルは間抜けながらそのとき初めて自覚した。
彼女がいなくなってもう一週間も経ったのかと。
あれから一週間も彼女を探しながら宛どもなく歩き回っているのかと。

『元気ねーのな』

ふとそんなことを言われた。
鋭い、とは言わないだろう。
これだけ講義や実験を無断欠席しておいて、しかも電話の応対がいつもと様子が異なる。
誰でもが気がつく不審点だろう。

『何だよ、例の彼女と喧嘩でもしたか?』
「・・・」

喧嘩どころか。
大きな溜め息が出そうになったのを寸でのところで我慢した。

『何だよ図星か?ああ、だから昨日元気なかったのか』
「・・・は?」

昨日?
昨日はケヤックどころか、大学の知り合いには誰にも会っていなかった。
もしかしたら、どこかを歩いているのを誰かに目撃されていたのかも知れない。
それで浮かない様子だったから、こうして何でもないように電話をしてきてくれたのだろうか。

「何だよ、誰に」
『昨日帰りにばったり会っちゃってさ、すげえビックリしたよ』
「・・・・・・え?」

どきん。
一度、呼吸すら止めかねないほど大きく心臓が高鳴った。
その後はまるで、遠くから早鐘が猛スピードで近づいてくるようにけたたましく鳴り響いている。
ケヤックの声だけがやけにリアルで、周りの音が、むしろ世界が、止まってしまったかのようだ。

「ケヤック!!」
『うおっ、何』
「それちょっと、詳しく教えろ!!」

鬼気迫るとは、当に今現在のことであった。










夜もだいぶ更けた頃だった。
今宵は少しばかり雲がかかってしまっていたが、雲間から星屑が零れるように窺えた。
風もそよそよと快い。
大きく開かれたあの部屋の窓のカーテンを優しく揺らしているのをそっと眺め、服の裾を強く握り締めた。

「そんなところで立っていないで」

びくり。
予想だにしない声が背後から聞こえ、彼女は思わず肩をすくませた。
彼女にしてみれば、いる筈のない人の声だった。
何故ならば、あの部屋の中にこの声の主がいると思いこみ、こっそりと眺めながら思いを馳せていたからだ。

恐る恐る、振り返る。
すると街灯の下、明るみに照らされて立ち竦む彼が確認された。
その姿はどこか呆然としているようで、また愕然ともしていて、血の気が引く身体を何とか立たせておくのが精一杯だった。

「・・・戻ってくればいいのに」
「・・・ギップル」

彼女から絞り出された声は震えていた。
ギップルはそれを何処か痛々しく感じ、しかし久しぶりに聞いた声に高揚を押さえきれなかった。
そして感情に支配されるままに歩み寄ろうとしたが、一歩踏み込んだところでリュックが踵を返すような仕草をしたので焦った。

これは千載一遇のチャンス、もとい友情がもたらしてくれた幸運だ。
昼間携帯電話で会話した友人は言ったのだ、昨日遅くなった研究会の帰り道、たまたまギップルの住むアパートの側を通ったところ、道路から食い入るようにギップルの部屋を見つめるリュックを目撃したと。
どうしようか、気がつかないふりをして回り道で帰ろうかとしたところ、見ることを諦めた彼女が丁度自分の方へ歩いてきたために、鉢合わせの形になったと。
『何か知らねーけど、泣きそうな顔だったから』、てっきり喧嘩して勢いギップルが追い出してしまったのではないかと勘違いしたらしい。
なのでさりげなく仲直りさせる為に今日電話を入れてくれたらしいのだ。

(無駄にはしない、きっとこれが、最初で最後のチャンスだ)

拳にはぎゅう、と力が篭った。
その力のままに、彼女を掻き抱いてしまいたかった。

しかしまた一歩踏み出せば、或いはまた消えてしまうかもしれない。
煙のように、シャボン玉のように。
ギップルの背中を冷や汗が伝う。

「迷惑だったなら、謝る」
「、」

勿論先日の、告白の件だ。

あれを言おうとただ思っていたときは、どうなるかはわからないにせよ、幸せな気持ちであったのに。
しかしもうそれをとやかく言う気はなかった。
どうにかできるならしたいとは思えど、力任せな呼び戻しはしないつもりだった。

ただ最早、すっきりしたかったのかもしれない。
ケリをつけて、自分の中のリュックを正当化したいのかも知れなかった。

「教えてくれ。お前があのとき消えた訳を」

そうしないと、この大きく膨れた気持ちは整理しきれないと確信したのだ。

「・・・好きって、言ってくれたとき」
「!」

それまで目を合わせないようにしていたリュックだったが、その時漸く顔を上げてくれた。
また泣いているのではないかと思ったギップルであったが、はっとした。
確かに泣いてはいなかった、けれど、その顔は貼り付けたような無表情だったのだ。

「・・・嬉しかった」

表情のないままにリュックはそう言ったが、その声音は、発言が嘘でないことをギップルに伝えてくれた。
しかしそうすると、疑問が残る。

「じゃあ、あれは何だったんだ?」
「・・・」
「どうして、謝ったんだ?」

訊ねると、リュックの瞳はまた臥せられてしまった。
それでも顔は見える、無表情はぐしゃりと崩れ、危うく揺れる。
そして、大きな緑が一際揺れ動いているのがはっきりわかった。

泣いてしまうのか、泣かせてしまうのか。
そう思った途端自分まで苦しくなってしまい、えもいわれぬ罪悪感に襲われた。

「リュック」

それでも知りたい、教えてほしい。

「お願いだ」

あの笑い合った時間を嘘にしたくないのだ。
彼女を想った自分の気持ちをまやかしだったとバカにしたくないのだ。
教えてくれるのならば、しつこい奴だとか女々しい奴だとか煩い奴だとか、罵られて一向に構わない。
最後の声が震えていたことにギップルは気がついていなかった。

「思い出したって、言ったよね」

少しの間の後、リュックは語り出した。

「私の種族は、人間のエナジーを栄養にしてる。今までギップルに貰ってたみたいに・・・特に異性の人間から、深い交わりをすればするほど、より濃厚なエナジーが貰えるの」

深い交わりをすればするほど・・・とは、俗な捉え方をする他ないだろう。
つまり最近のように手だけを触れ合わせているよりも、始めの頃のようにキスをしていた方が、よりよいエナジーが得られたということだ。
しかしそれは、存外大変なことではないだろうか。

「でも、エナジーを貰う行為をする為には、人間に少しでも・・・一時だけでも、持ってもらわなきゃならないものがある」
「持ってもらわなきゃならない・・・?」
「だから私たちは、人間にそれを持たせる力があるフェロモンを常に出してるの」
「それは・・・?」

何だろうか。
咄嗟に思いつかなくて眉根を寄せたところで、難しい顔をしたリュックと目が合った。
言いづらそうな彼女は、重たそうな唇を漸く持ち上げた。
できれば言いたくない、と目が叫んでいた。

「愛情」
「え」

ザザッ。

風が大きく吹き荒び、木々を揺らした。
足元をとられてしまうかと思った。









continue.









リュックを探す過程はどうでもいいかなと思ってばっさり割愛しました。このリュックの告白を書きたいがための第2章です。
(20120917)
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