夜風は二人の肌をくすぐり、低くなった体温を更に冷たくしていく。
夏だというのに、指先が冷たい。









Cigarette Kiss
〜I wanna be with you, baby.〜 6










「あたしといて、何か変な気持ちになること、なかった?」
「えっ」

妙な沈黙は、リュックのぽつりと零した質問によって遮られた。

ギップルはといえば、一瞬下心を見透かされたのかと思って心臓が跳ね上がった。
それでも先の不可解なリュックの言葉が、血流を妙に泡立たせる。
しかしリュックの瞳は真剣そのもので、意図は定かでないにしろ、真面目に答えることにした。

「そりゃ、好きだから。一緒にいればそういう気持ちにもなるっつーか」

自分で言っていて、何とも気恥ずかしかった。
しかし求められて答えた回答は相槌も返答もなく、虚しく闇夜に落ちていく。

「一番最初にキスしたときも」
「へ」
「ドキドキした?」
「そりゃそうだろ。誰だって・・・」

(何なんだこの問答は?)

どう考えても今までの自分の下心の挙げ足を取られているとしか思えない。
そして、拒絶されるようにしか、思えない。
しかしそれでも、先に見た彼女の表情は、自分を拒絶していたようには思えないのだ。

「ギップル、ありがとう・・・好きって言ってくれて」
「!」
「でもね、嘘なんだよ」
「え?」
「あなたの私への気持ちは、嘘なの」

言葉の意味が飲み込めなかった。
だってそうだろう、何故人の気持ちを嘘だと言い切ってしまうのか。

しかしそこで、先に彼女が呟いた言葉が脳内で再現された。

“人間に少しでも・・・一時だけでも、持ってもらわなきゃならないものが”
“人間にそれを持たせる力があるフェロモンを常に”
“愛情”

鳥肌の立つ思いだった。
ようやく彼女が言いたいだろうことがわかり、不安と怒りが胸中を支配する。

「俺が好きだって思う気持ちも、嘘だって言いたいのか」
「・・・そうだよ」
「嘘なわけないだろ、俺は本当に」
「正確には、あたしが思い込ませちゃったんだ・・・この、フェロモンで、さ」

強く言い返せなかったのは、思い当たらないこともなかったからだ。
何故なら、自分は彼女に懸想しているから。
時々彼女の表情に、行動に、堪らないものを感じたから。
現に今、彼女を目の前にしてとても落ち着かない気持ちになっているから。

「途中で気づいてた・・・ううん、思い出してたの。でも、忘れたふりしてた」

そう呟くリュックの声音はとてもか細くて、さながら蚊の鳴くようなもので、苦笑いの含みが聞いていて辛かった。

自分も今、大事なものを踏みにじられたようでとても苦しくて辛かった、けれど、何より彼女がとても辛そうだ。
苦虫を噛み潰すギップルはそれでもじっとリュックを見つめていた。

「そしてね、思いこみたかった」
「思いこむ?」
「うん」

はっきりと肯定した態度とは裏腹に、リュックは明らかに言い淀んだ。
何に躊躇うのかは定かでないが、ギップルはここにこそ彼女に持たざるを得ない違和感の正体があると確信したので、苦しそうな彼女の表情を見て見ぬふりした。

やがて浅い息を繰り返すように呼吸をしていた彼女がピタリと止まり、漸く宣った。

「あなた自身の心で、本当に好きでいてくれてるんだって」

切なる声は月夜に響いた。
ギップルは一瞬目を見開き、意外なものを呑み込んだ心持ちを味わった。
そしてその意味を咀嚼しようとした、が、上手くいかない。

「そう思えば、全部嬉しかった。手を握ってくれたことも、彼女って言ってくれたことも、一緒に星を見てくれたことも、」

上手くいかないから仕方がなく、リュックの言葉の後を追う。

「街中歩き回ってくれたのも、スーパー行ったのも、家にいていいって言ってくれたのもっ」

追いながら、思い出す。

最初は戸惑いながら。
戸惑いつつも自分でもよくわからない感情に突き動かされながら行動をして。
次第に自分の気持ちを自覚して、彼女の真実を知って。消えてしまって。
そうしてまた自分を突き動かしたのは、求めてやまない気持ちで。

「自分の中で誤魔化しきれなくなって、でもあなたの気持ちはすごいキラキラしてて、もう、耐えきれなくて・・・っ」

そばに、いられないと思った。

「浅ましい、でしょ?」

ギップルは回想する。
気持ちを自覚してから後、上手にだったり下手くそにだったりしつつも彼女に気持ちを伝えたとき、ほんのり嬉しそうな気色を見せたことを。
しかしその一瞬後には、表情を曇らせていたことを。

そうだ、違和感を抱きつつも確かに知っていたのだ。
しかし知っていただけで何をしたわけでもない、もしかしたら彼女と同じ、気がつかないふりをしていたのかも知れない。
彼女の思うところには恐らく気がつけなかっただろうが、これに気がついてしまったら何かが壊れることには気がついていたのかも知れない。

だけれども、それでも違和感は残る。

「あたしが消えればフェロモンの効果が消えて、あなたはあたしを忘れるし嘘の気持ちも消える。あたしも気持ちを断ち切って、そして・・・」
「そうして、全部終わるのか?」

びくりと肩を震わせた、彼女の言葉の続きを聞きたくなかった。
それに納得いかなかった。
お前がいなくなって何日経ったと思っているんだと、叫びたかった。

「つまりお前は、俺の気持ちは迷惑じゃなかったってこと、だよな?」
「っ、それは、」
「そういう風に、聞こえた」

確認するまでもない事実だと思ったし、彼女も否定しようとする風はなかった。

最初に思ったのは、申し訳ない気持ち。
自分の気持ちが思った以上に伝わっていたのは嬉しかったが、それが彼女を苦しめていた。
自分の気持ちに前向きに向き合ってくれようとする気持ちと、フェロモンによる洗脳であってどの言葉も信じてはいけないのだという気持ちに、彼女は葛藤していたのだ。
そして、あの夜告白したことで、その葛藤が爆発した。
だから、突然消えてしまったのだ。

しかしその事実は、同時にとても嬉しくて。
それだけ、ギップルの気持ちが本当であればいいのにと、願ってくれていたということだから。

体中に、温かいものが流れていくのを感じた。

足が勝手に動き、リュックとの距離を詰めていく。
始めの一歩で居すくんだ彼女を精一杯見つめる。
少しでも強く気持ちが伝わるように、どうか消えてしまわないように、祈るように。

そして三秒後、細い肩を抱いた。
陶酔のような感動を覚えて、そしてはっとする。
細かった彼女の身体が、更に頼りなくなっていることに。
少し触れただけでそれとわかるほどに衰弱した彼女が、あれからエネルギーを補給していないことは明らかだった。

「フェロモンなんて、とっくに切れてる」
「・・・」
「でも俺は、今でもお前を欲しいと思う」
「・・・っ、フェロモンの残り香、かも。一緒にいるとき、好きって勘違いして、気持ちだけ勘違いのまま」
「勘違い勘違いってうるせえな!じゃあお前がいなくなってからの一週間、街中探し回ったのも全部勘違いか!?お前の使ってたカップとかよく見てたテレビ見て苦しくなったのも、全部勘違いだってのか!」

まどろっこしかったのだ。
だからついつい、元が短気なギップルは叫んでしまった。
はっと我に返った時、目の前の女性は驚きと、少しの恐怖を持ってギップルを見つめていたので、反省しながらまた彼女を抱きしめた。

「こんなの、ほんとに好きってことだろ?」

優しく、本当の気持ちが伝わるように。

「・・・一週間、離れて」

腕の中に収めているリュックが、僅かな隙間から顔を捩じらせ、ギップルを仰ぎ見た。
何か、堪らないものを見るような瞳だと思った。

「あなたの気持ちは、消えてくと思った。あたしはそれを見届けて、それからどこかへ行こうと思った」
「・・・消えねっつの」
「毎日ここにいたわけじゃない。次はどこへ行こうかって、色々なところへ行ってみたこともあった」
「・・・」
「でも、だめだった」

瞳を揺らせ、迷いをありありと映しながらリュックは訴えた。

どんなにたくさんの人たちを見ていても。
どんなに綺麗な景色の場所へ行っても。
どんなに、考えないようにしていても。

駄目であったのだと。

「気づいたら、ギップルのこと考えてた」
揺らめかせていた瞳から大粒の涙を零して尚も訴えた。

好きな気持ちを押さえきれなかった。
少しだけでも姿が見たかった。
今日だって気づいたら、ここにいた。

「嫌でも気づく・・・あたしは、本気なんだって、でも、あんたは、」
「もういい」

もう何も言えないように、彼女の吐く二酸化炭素ごと抱き込むように、抱きしめる腕に思い切り力を篭めた。
胸中に様々な感情が溢れ、堪らなかった。
とにかく彼女を抱きしめていたかった。

「傍に、いてくれよ」
「ギップル」
「好きだ・・・本当に、好きだから」

そろそろと背中に回された細い腕が、必死にギップルの服にしがみついた。
放さないように、放されないように、今はただただ必死に、腕の中の存在を抱きしめていることしかできなかった。









continue.









やっと書けました・・・ぼんやりさせていたリュックの不安>< 大丈夫だよ、ギップルさんはほんとに好きだからね!(あんたがフォローしても・・・)
考えていた佳境はとりあえずここまで、次で後日談書いて、とりあえず終わらせられそうです。 もう少しだけ、よろしければおつきあいお願いいたします。
(20120917)
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