タイミングよく二人揃って振り返ったのを、気配で感じた。 息もぴったり・なんて喜んではいられない。 彼女も、申し訳ないことに萎縮していた。 無理もない、ギップルの名前を呼んだ声には、明らかな怒気が含まれていたのだから。 Cigarette Kiss 〜Who are you, girl?〜 7 しかしこの怒りを引き起こしたのはまごうことなく自分である自覚が少なくともギップ ルにはあったので、リュックに謝るとしたら自分なのだろう、なんて暢気に思った。 暢気に・というのは語弊がある。 敢えて言うならば、乾いたような、心ここにあらずといった気分で、だ。 「隣、誰?」 ぴりり。 こんな怒った声も、一週間少し前までは聞きなれていたギップルとしては何てことはなかった。 でも勿論、びくりと肩を明らかに震わせたリュックは慣れているも何もある筈がなく、やはりただただ、申し訳なかった。 「もしかして彼女とか言うわけ?」 「あー、あのな」 「そうなの!?」 選択肢は2つあった。 選びたい肢と、選ぶべきであろう肢が、目の前で揺れた。 そうしてリュックと、目の前の数日前まで一応付き合っていた女を交互に見て、2秒の間に一時間を凝縮した位悩んで、それから口を開いた。 「違うよ」 結局リュックを、ある意味守れるだろう肢を選んだ。 言いたかった肢は勿論喉先まで出かかったけれど、それを言ったら女のヒステリーの矛先が完全にリュックに向くと思い、我慢した。 しかしやはり、女の怒りが治まることにはならなかった。 「違うにしても、じゃあ何なのよ!」 「もうお前には関係ないだろ」 「何よその言い方!」 「別れたんだから干渉すんなって言ってんの!」 「別れて一ヶ月足らずで次に行けるあんたに呆れてんのよ!」 「だからそれももう関係ねえだろ・・・」 正に売り言葉に買い言葉状態だ。 ああ言えばこう、こう言えばああ、と怒鳴り合いが続く。 始めこそ飾らず思ったことをはっきりと言う女に好感を持っていたのだけれど、少しの嫉妬も隠さず強い束縛で縛り上げる様にはすぐに愛想が尽きてしまった。 話し合うにもすぐに今のような怒鳴り合いに発展してしまったので、どうしようもなかったし、どうにかしたい気持ちもすぐに萎えてしまったのだ。 「あんたもあんたよ!」 だから今も、早く女が怒りの頂点に達して立ち去ってしまわないかと思って、半ば会話を流していたので、急に女の矛先がリュックに向いてしまったことに素早く対応できなかった。 気づいたら一瞬でリュックの服のフードに掴みかかっていたのだから、さすがに背中に冷や汗が垂れた。 「私たちが別れるの待ってたんでしょうばかみたいに!どうやったんだか知らないけど見事に手に入れたわけね、どう、嬉しい!?」 「おい、彼女は関係ないだろ!」 「結局そうやって庇って!彼女じゃなくてもどうせ口説くんでしょ!女なら端から口説いてくのが趣味だもんね?」 「はぁ?ふざけんな!」 女性に手を出しそうになったのは生まれて初めてだった。 今更わかったことだが、やはり自分とこの女は相性が悪かったらしい。 否最悪かもしれない。 早くリュックの手を取って走って逃げてしまいたかったけれど、生憎この女は執念深いので今逃げても必ずどこかでまたこの話題を盛り返してくるだろうし、何より女の手はまだリュックを掴んでいる。 「まさか・・・私たちが別れることになったの、この女にナンパして上手くいったからとかじゃないでしょうね?」 「何を」 「あんたからギップルを誘惑したとかじゃあないでしょうね!?」 「いい加減に」 しろ。 怒鳴りたかったのをそれでも堪えながら言っていたのだが、吹き飛ぶ彼女の様を見たら、声が出なかった。 物理的法則に忠実に乗っ取ったように、彼女が吹き飛ばされた様子が目に焼きついてから後、ぱん・という乾いた音が聞こえた。 そして自分の手が地面に落ちた彼女を抱き上げたことを知覚して後、彼女の名前を呼ぶ自分の切羽詰まった声が聞こえた。 「リュック!!」 癇癪を起こした女に標的にされた彼女は、フルスイングの平手で文字通り吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。 そして聞き間違いでなければ、叩きつけられた直後にごん・と鈍い音もした。 ぞわり・と寒気がした。 「あ・・・っ」 抱き抱えた彼女は辛うじて意識はあったけれど、白い肌には鮮血がべっとりとついていた。 輝く金髪も前髪の辺りが痛々しく濡れそぼっていて、おまけに震える唇から小さな呻き声が聞こえてしまったものだから、最早何を堪えることもできなかった。 「お前はもう俺とは関係ない人間だ!わかったら二度と声なんかかけるな!」 女が全て悪かった訳ではない。 別れた理由ならお互いに悪いところがあったのだろう。 それについては否定する気にはならないが、しかし彼女に危害を加えたことだけはどうしても許せなかった。 強く言い過ぎたかもしれないと省みる頃には、一ヶ月も付き合わなかった女は消えていて、自分はと言えばしっかり彼女を診療所に担ぎ込んでいた。 110番しなかったのは、単に歩いてすぐにこの診療所があることを知っていたからだ。 否、単に救急車を待っていられなかっただけかもしれない。 まあその辺は覚えていないので、そのときの自分に聞くしかないのだが。 「こんなとこだからしっかりした診察はできないけど、多分大丈夫だよ」 年配の医者はそう言いながらリュックに包帯を巻き、違和感があったら大きい病院に行けと進めてきた。 また、頭を打っているときは動かさないにこしたことはないのだから、とりあえず休んでいけと言うので、遠慮せず休んでいくことにした。 確かに言われてみればその通りで、先程動転して走ってここまで連れてきた(気がする)ことを後悔した。 「・・・悪かった」 今はすやすやと眠る彼女を見つめ、ぽつりと溢した。 リュックが力一杯叩かれたのも、結果強か頭を地面に打ちつけたのも、自分のせいではない。 でも頬を叩かれるシチュエーションに誘ってしまったのは間違いなく自分だし、叩かれることを阻止できなかったのも自分だった。 女性に恨まれるような付き合い方はしてこなかったつもりだったけれど、今程後悔したことはない。 「ギップルが謝ることじゃないでしょ?」 「っ」 いつの間にか俯いていたギップルは、不意に落ちてきた言葉に思わず飛び起きてしまった。 頭痛のせいで声に力が入らないようで、いつもの快活な声は成りを潜め、弱々しいそれがしかし、耳に響いた。 「でも、俺が気をつけてれば・・・つうか、お前には、とばっちりで・・・」 「もう痛くないよ?」 「・・・嘘つけ」 先程の女が誰なのか、どういう関係だったのか、何故自分は叩かれたのか。 彼女には聞く権利のあることがたくさんあったし、ギップルとしても話さなければならないと思ったのだけれど、決して聞かれなかった。 聞こうとする雰囲気すら感じられなくて、頭の包帯に血が滲んでいるのを睨みつけながら、だんだん胸が苦しくなっていった。 「ほんとだよ〜」 「・・・ごめん」 「だいじょぶだってば」 「でも、・・・ごめん」 無意識に、布団の上に出ていたリュックの掌を握っていた。 握りしめていた。 強すぎる圧迫に、でもリュックは何も言わず、力任せのくせにその実祈るように掌を包むギップルを眺めた。 そしてやはり歌うように、いいんだよ・と囁いた。 不思議な空間だった。 ここはただの診療所の一室で、窓から聞こえてくる子どもの声も、車の騒音も、聞き慣れたものだ。 それなのにこの一角だけはまるで切り離されたかのよう、ミサの行われる日曜日のようだ。 さしずめマリアに許しを乞う子羊は、暫く彼女に頭を撫でられていることに気がつかなかった。 漸く気がついてゆるゆると顔をあげると、慈しむような笑顔と目があった。 堪らずかき抱きたい衝動に駈られたがそうせず、上手く笑うこともできず、曖昧な顔を作ることしかできなかった。 「だってね、悪いことだけじゃないんだよ」 「え?」 先の話の続きとわかれど意味が掴めず、素直に聞き直すと、リュックはまたにこりと笑った。 「わかったの、あたしが何なのか」 「えっ」 どきりと心臓が跳ねた。 不幸中の幸いと言うべきだろう、喜ばしいことが起こったというのに、ギップルは語感の妙な違和感に素直に歓喜できずにいた。 「誰なのか、だろ?」 「あ、うん」 「今、何なのかって」 言った。 細かいことだけれど、気になってしまったから。 小さなことに煩い男だと思われてもいい、笑い飛ばして何を言っているのかと突っ込んでくれていい。 以前からの予想が杞憂に終ってくれるのならば何でもいい。 あれだけ何度も疑ってきたことだったけれど、それを全部綺麗に否定してくれるのならばこれ以上喜ばしいことはない。 だって、ギップルははっきりと気づいてしまったのだから。 「あのね」 彼女とずっと一緒にいたいと。 彼女の笑う顔を眺めていたいと。 彼女の幸せを守りたいと。 「あたしやっぱ、人間じゃないの」 彼女のことが、好きだと。 continue.. すいません、第一章にもう一話足しました;;(110306) ギップルの元カノ、出番はこれっきりです^^;;オリキャラなるべく出したくないので誰か割り当てようと思ったのですが、あまりいい役ではないので止めました。かわりにギップルの学校の友達を誰か割り当てようと・・・思っております^^未定ですが。笑 二章は一章とはまた違った雰囲気にしたいと思うのですが、まあ相変わらずギップルが悩みます(笑)でもラブ度をどんどん高く・・・していきたいと思いますvくっつくとこまで・・・書けるかな? これまた亀更新になってしまうかと思いますが、よろしければのんびりお付き合いくださいませ。 (101226) |